ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

センスはリズム。人生は、音楽

『 人から見ればあなたらしくない、という場所があれば僕は敢えて行く。そういうこともセンスを磨くには大事です 』

 

『 僕たちが求めていることは、必ず、他の誰かも求めているはずだと思ってかかったのです 』

 

『批判は自分が成長、前進している証拠だと思っています。批判とは、要するに、向かい風でしょう。向かい風は自分が先頭に立ち、前に向かって歩いている証拠なのです。逆に、風が吹かないというのがいちばん嫌なことです

自分がひとつのことをやろうと決めた覚悟があるならば、それは受け止めるしかないと思っています。逃げてはいけません
逃げないということは、それに向き合うということです』
 
『今までに前例がないことをしようとすると、多くの人が否定します
だから、新しいことをやっている以上、いつも否定されます
でもきっと、もうだめだというときには、そういう自分を励ましてくれる何かがやってくる
それで頑張ろうかなと思えます』
 
『センスを磨くためには、すなおさと勇気、それを受け入れる孤独も必要だということがわかります
自分が変わることをけっして恐れない、その勇気と孤独が大切なのです』
 
『勝負の仕方のなかでいちばん美しいのは、八勝七敗というかたちだと思います。それがプロの勝負の仕方ですし、もっとも美しいのです
全勝をするためには無理をしなければならないのですが、無理をするとケガをします。ケガをすると、ひとつのことを続けることができないからです
長く続けていくためには、八勝七敗を自分で守っていく。全勝ではなくて、そのためにわざと負けるくらいがいい、と
バランスというのは、すべてにかかわってきます
自分にとっての「OK」みたいなことが、ずっと続くわけはないのだと思います。ところが、続いてしまうときがあるのです。続いてしまうときは、わざと自分で転んでおいたほうがいいと思います。気がつかないで不意に転ぶと必ずケガをしますから』
 
『 「センス」とは「リズム」でもあり、「センス」を学ぶことは「リズム」を学ぶことでもあると思いました 』
 
松浦弥太郎、センス入門

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こんばんは

イヤよイヤよも好きのうち

わたしはおなかがマタニティ

guts koporu takkaです

 

 

今回は松浦弥太郎さんの本です。『暮しの手帖』の編集長さんをされていた方で(いまでもそうなんですかね?)、『COW BOOKS』などを経営されていたり、いろいろされている方です

独特な、やわらかい語り口が特徴で、やわらかいのに核心をついてくる、個人的にツボな人です

大好きな千田琢哉さんもそうですが、好きだからといって言ってること全部にうなずけるわけじゃないですけどね。8割くらいは共感できたり、学ばせてもらうことができる、素晴らしい方です

そもそも、メンター(人生の指針になる人)というのは別にパーフェクトな超人じゃないですしね。むしろ、クセのある人が多いかもしれません

わたしはイチローをほんとに尊敬してますけど、彼の発言を追っていったらめちゃくちゃクセありますからねw

この人、野球やってなかったら社会に適合できないんじゃないかっていうくらい。ちょっと大げさですけどね

 

 

センスとは?

 

さて、〝センス〟とはなんでしょうか

わたしは普段、センスセンス、オシャレオシャレという人があまり好きじゃありません

言葉って、まったく同じ発音で、同じ文字を使っていても、まったく意味が違うことがありますよね

わたしが嫌いなのは、センスやオシャレという言葉を使いながら、まったくそこに背景や歴史が感じられないただのペラペラなハリボテだったりする場合や(残念だけど、多いですよね。オシャレオシャレって連呼する人は、だいたいそんな感じがします)、ほんとに「センスあるなこの人」とは感じるんだけど、洗練されているんだけど、そこに逃げ込んでいるというか、センスがいいところで終わっている人です

なんだかややこしいですが、それらはほんとの意味でセンスがあるとは言わないんじゃないかな、と思います

別に自分に特別センスがあるとも思わないので、自分のなかのイメージというか、価値観の話ですけどね

 

かと言って、やはりセンスは磨いていくものだと思います。センスを磨いていくってほんとにむずかしいですけどね。そもそも、わたしのように人間性が矮小な男がセンスを口にしたってあまり説得力ないですしね

ただ、ほんとに表現がむずかしくて、チープな言い方になってしまいますが、〝センス良く〟なってはいきたいですよね

それはオシャレに‥とかってよりは、なんだろう‥。シンプルになっていく、ということなのかな?

それも全体の一部でしかないとは思うけど、とりあえずはそれもひとつなんじゃないかな、と思います

 

 

生きる、リズム

 

「センス」とは「リズム」でもあり、「センス」を学ぶことは「リズム」を学ぶことでもあると思いました 』

これもまたそのひとつですよね。センスは、リズム。生きる、リズム

わたしはいまゆっくりと、自分と対話しながら、生活のリズムをつくろうとしています

思えばわたしの生活は〝借金〟に塗れていました

リアルな親への借金とかもあるんですけどw、そういうことではなくて、人生の借金

ひたすら突っ走ってきたけど、ずっとやりたいと思って何年も放っておいたことだったり、果たせていないままの口約束だったり、もう何年もまともに片づいていない部屋だったり‥

そういう借金をちゃんと返さずに、見て見ぬふりをしたままで、もうこれ以上先には進めないな、とふと思ったのです

いまはありがたいことに非常にゆっくりやらせてもらっていますが、もちろん借金をすべて返し終わるまで超スロー、というわけにもいきません。同時進行で、返済をしながら、ということになっていくでしょう

しかし、どれだけ機敏に動いても、やっぱり〝こころのペース〟はゆっくりでなければいけないんだな、ということもよくわかりました

そういうのも、センスといえばセンスなのかもしれませんね

仕事のリズム、こころのリズム、家族のリズム、友人とのリズム‥

世界はリズムで溢れていて、ときに自分のリズムを通してみたり、合わせにいったり

でもわりと多くの場合、リズムを合わせにいったほうがうまくいくことは多い気がしますね

それは相手にへりくだるとか、おもねるとかってことじゃなく、さりげなく、相手も気づかない、気づかせないくらいの感じで合わせる。そういえば、これも肉体労働で学んだことだけど、いろんなことに応用が利きますね!

 

 

殻を破れ!外の世界は広い

 

人から見ればあなたらしくない、という場所があれば僕は敢えて行く。そういうこともセンスを磨くには大事です 』

これは、自分の殻をやぶる、ということですね

先述した〝センスがいいだけの人〟というパターンですが、どれだけ洗練されていても、ある意味では〝本物〟であったとしても、もともと自分のなかにあるようなものにしか触手が向かない、冒険しない人は、はっきり言ってつまらないんですよね

センスいいんだけど変にウンチクを語ったりしない、そういう意味でもセンスがいい人とかは、害にもならないですけど、とくに話したいとも思わない

害にはならないけど、毒にもならないから、刺激がないんですね

この人の知らないものが世界にはきっといっぱいあるのに‥と言ったらかなり偉そうだけど、そういう風に感じてしまったらはっきり言ってその人にはもう興味は向かないですもんね

センスってほんとむずかしい

でも、どう考えてもチャレンジのしがいがあって、そして楽しいものですよね

別にセンスを磨こう、なんて意識せずに、ひたすら毎日に全身全霊を打ち込んだら、自然とセンスは磨かれていくのかもしれません

 

では今回はこのへんで

バイバイ!