ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

ベッドルームから、世界を見渡す

『これはおとなの仕事です!おとなのするべきことを子供に肩がわりさせてはいけないと思います

私の勤務している病院の小児病棟には、いわゆる難病といわれている子が大勢います。そういう子は例外なくいい子で、しっかりしてます。厳しい闘病が、彼らが子供でいることを許さないからです
子供であることを奪われた子供ほど、哀しいものはありません』
 
 
 
『 あなたが見つけてしまった蛇は、あなたの本当は大切なはずの人たちの、顔をしていたんですか? 』
 
『 死ぬってこんな、つらいんだ。こんな取り返し、つかないんだって思ったから、おれはぜったい、自殺なんかしねえ! 』
 
『 かんたんに人のことかわいそうっていう人、すっごムカつく! 』
 
 
 
『 「嫌い」は「好き」よりずっと早く、伝わってしまうのかもしれない 』
 
『いつものノリでいっちゃうと、なんか悪い酒になっちゃいそーで
それじゃ、お酒に悪いじゃないですか』
 
『 見ようと思わなければ、見えないもの。ずっと、そこにあっても 』
 
 
 
『 あの人一度も、「なんで」って聞かなかったな。いろいろ変な、質問したのに 』
 
 
 
『晴れた日は、空が青い。どんな気持ちの時も、それは変わらない
それだけは、神様に感謝したいと思います』
 
『「なんだアイツ、言いたいコトだけしゃべりまくって、ひとりでテンション高えし。わけわかんね」
「悲しいから。…じゃないかな」』
 
吉田秋生海街diary 5巻

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こんばんは

昨晩、むかし使っていたガラケーを4、5台持ち出してきて、データ転送しよっかな、そのまま売ろう(捨てよう)かなあ‥と思案していたら奥さんがやってきて、

オレオレ詐欺でもやるのかい!?』と突っ込まれました

guts koporu takkaです

 

 

海街diary』、最近映画になりましたね

わたしがいま住んでいる北海道は函館市も、ある意味、というか完璧に海街です

わたしは高校まで函館から車で1時間くらいの田舎町に住んでいたので、2週に一回くらいは函館に家族で買い物にきたりしていました

なので、中途半端に〝地元感〟があって、函館にあまり興味がありませんでした

 

そのときは、それでよかったと思います

自分のいる場所にあまり満足し過ぎると、そこから出ていこうって気持ちがなくなりますからね

まあそれでも全然〝近所〟ですけど、おかげで札幌に出ていこう、という気になり、そこからいろんな人たちに出会い、さまざまな価値観に触れることができました

触れることになった、というようなこともありましたけどね!

 

そしてグルッとまわっていま函館に居を置いて生活しているわけですが、1年半経ったいまも、ものすごく新鮮な毎日ですね

そもそも函館に〝住んでいた〟ことはないのですが、10代のころ見ていた街とは別な場所のようです

10年以上経っているのでもちろん単純に街並みが変わったということもあるのですが、〝視点〟が変わったから、見えるものが違うんだと思います

というか、どうしてこんなに違うものが見えるんですかね?w

なんとなく理屈ではわかっても、不思議でしかたがないです

 

出会う人も、場所も、すべてが新しい

いままでとはまったく別な場所に生きている感覚。楽しいですよね、単純に

昨日のブログに、日雇いの肉体労働をしていた時期があると書きましたが、函館にやってきてから、この春までの、つい最近のことです

まさかこの街でそういう仕事をするとも思っていませんでしたが(経緯は今回省きます)、この仕事では、いままでの人生で出会ったことのないものに次々と出会いました

ほんと、いちいちスケールの大きいものに

 

わたしは〝ブルーズ(=ブルース)〟という感覚が欲しくて、そのためにいろんなことをしました

そういう意味ではこの仕事は、この街で暮らしている人たちの〝ブルース〟と、世界の〝スケール〟を同時に教えてくれたすごい仕事だったなと思います

小さな街で世界のスケールとは笑わせるって ?

いやいや、意外にいろいろ見れるものですよ

その気になれば、この部屋のなかから世界と繋がることもきっとできるんだと、わたしは思いますよ

インターネットとか、そういうことじゃあなくてね

 

 

マンガの話は全然しませんでしたけどw、今回はこのへんにしておきます

季節の変わり目ですので、皆さん風邪をひいたりせぬよう、ご自愛ください

 

バイバイ!