ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

夢というやつに会いに行き、そのままお持ち帰り

『嫌いな仕事をするのをやめる

クビになるんじゃないかって?クビになってしまえばいい
クビは死刑宣告ではない。自由への扉なのだ
好きなことのために妥協するならまだしも、嫌いなことのために妥協してはいけない
明日はデートだから今夜は少し多めに仕事を片付けておこう、という妥協ならいい
嫌いなことのために妥協するのは人生における無駄以外の何ものでもない
嫌いなことのために妥協している人は、生きているふりをしながら実は死んでいるのだ
ただでさえ仕事が嫌いなのに、さらに嫌なことを頼まれて思わず「えー⁉︎」と言いたくなるようなことは、これからの人生において一切やらなくていい
やらなくていいのではなく、やってはいけないのだ
嫌なことを嫌々すれば、頼んだ人も不幸になるし何よりもあなた自身が不幸になる
生涯賃金で見ても結局少なくなるし、奇跡的にこの世に生まれた命の無駄遣いでもある
「確かにそのとおりだけど、それではすぐにクビになるのでは?」という心配は無用
ぜひクビになってしまえばいい
クビは死刑宣告ではない
自由への扉なのだ
クビになってもこれからの時代、生きる道はいくらでもある
もちろん転職も一つの手段ではあるが、起業するのもいいし出家するのもいい
今までの延長線上にあなたの幸せがあるとは限らない
否、今までの延長線上こそが地獄であって延長から外れたところに幸せがある
職業は無限にあるし、自分で好きなように作ってしまえばいい
長い目で見ると好きなことのためにしか妥協しない、という人だけが幸せになっている
「面倒くさいから嫌です。それではサラリーマン失格なのでクビにしてください」
と言って将来そのエピソードを本に書いてベストセラーにしてしまうこともできる』
 
 
『嫌なヤツと会うのをやめる
会う人数が減っても年収が減るわけではない
嫌なヤツを避けると成長できないわけではない。むしろ逆だ
成功すると確実にある変化が起こる
嫌なヤツと無理に会う必要がなくなることだ
「でも嫌なヤツとも会うことによって人間として成長し続けていくのでしょう」という反論が聞こえてきそうだ
逆だ
嫌なヤツと会う経験を通して「嫌なヤツと会うのはいかに人生の無駄遣いか」を認識して、嫌なヤツとは無理に会わなくて済むように成功するのだ
成功していくと相手がすり寄ってきて嫌なヤツが変わっていくこともある
成功していくとあなたが成長して嫌なヤツがかわいらしく思えてくることもある
嫌なヤツが嫌なヤツでないとあなたが心底感じた時にだけ会えばいいのであって、無理に嫌なヤツに会う時間など人生には残されていない
儲からないのにうるさいお客様とは付き合わないというのでも大いに結構だ
ちょっとでも嫌なヤツとは積極的に会わないようにするだけで、会わなければならない人の数は10分の1くらいに減ってしまうだろう
でも会う人数が10分の1になったからといって売上も10分の1になるわけでも、年収が10分の1になるわけでもないことに気づかされるはずだ
つまり嫌なヤツに割いていた時間を好きな人に向けて10倍費やすことができる
これが成功の秘訣なのだ
好き嫌いというのは人間としてとても大切な感情だ
もっとわがままになっていい』
 
 
『貯金をやめる
この世で最もお金がかかる道楽。それが貯金だ
貯金はいいことだと思っている人は多い
趣味が貯金という人もいる
だがそれは明らかに間違いだ
この世の中で最もお金がかかる道楽が貯金だということに気づこう
なぜなら貯金には「これでおしまい」という際限がないから、永遠に目的なくお金を貯め続けていかなくてはならないからだ
貯金をすると世の中のお金の流れを止めることにもなる
たいして稼ぎがあるわけでもなければ貯金している場合ではない
むしろ稼ぎを増やすためにも自分に投資していかなければ永遠に稼ぎは増えない
少し前に年収300万円時代と言われていたが、ついに年収180万円時代とも言われるようになった
まもなく年収30万円時代というのがやってくる
これは本当の話だ
ほとんどの人たちが年収30万円だから1億総貧乏の時代に突入するだろう
もちろんほとんどの人たちが貧乏だからそれなりに生活ができるような世の中にはなっていく
その一方で相変わらず年収1億円という人たちは確実に存在する
つまり貧富の差どころの話ではないほどの違いが生まれる世の中になるということだ
年収1億円の人たちになって、世に影響を与え続けていくためにはあなた自身の脳みそへの投資が必須なのだ
大好きなことを極めるために勉強し続けて、脳みそへ投資していくのは快感でもあり人間として理に適っている
金融商品への投資とは桁違いの利益と世の中への貢献ができるのは間違いない
脳みそへ投資していれば、いつでもゼロからまた稼ぐことが可能なのだ』
 
 
『新聞を読むのをやめる
新聞をやめ、人の話に耳を傾けよ
人と会って情報交換することを習慣にすれば、新聞には絶対に掲載されないような知恵にまで昇華できる
ただでさえバタバタしているあなたの朝を新聞がより束縛しているとしたら、本末転倒も甚だしい
新聞なんてそんなに大層なものじゃないということをまず知るべきだ
ちなみに私はもうすでに10年以上新聞を定期購読していない
新聞をやめることによって、まず時間にゆとりができるようになった
精神的に解放された
部屋から新聞が消えて美しくなった
そして自分は新聞を読んでいないのだから知らないことがたくさんあるに違いないと思い、人の話に耳を傾けることができるようになった
結果として収入が跳ね上がった
実際にはインターネットのニューストピックですべて網羅されているし、ちょっと詳しく知りたいことがあってもクリックを2回か3回繰り返すだけで事足りる
人と会って情報交換しているうちに、新聞には絶対に掲載されないような知識を得、それを知恵にまで昇華できる
時代の流れは大手書店のベストセラーコーナーや新刊コーナーに週に一度でいいから足を運んで、すべてのタイトルとオビを眺めてつかんでおく
かの有名な世界的経営コンサルタント大前研一氏もかれこれ何年も新聞を定期購読していないという
「株価欄」を事細かに記憶している人で長期的なお金持ちを見たことがない
新聞は必須であるという思い込みが誤りなのは、通勤電車の中を見れば一目瞭然だ
新聞が成功に必須なら、サラリーマンから大富豪がもっと生まれてもいいはずだ』
 
 
『ネットサーフィンをやめる
ネット上に1次情報はひとつもない。人とお金が殺到するのはいつも1次情報だ
デジタル化が進めば進むほどアナログの価値は上がるのだ
最近はテレビに負けないくらいネットで時間を潰している人は多い
それもよく観察していると目的もなく単にダラダラとネットサーフィンしているのだ
サラリーマン時代に、四六時中ネットサーフィンばかりしていて仕事ができる人間は一人もいなかった
仕事ができない人間にとっては、とても便利なサボる口実ができてしまった
社内のネット接続時間を限定したほうが会社の業績は上がるのではないだろうか
ネットサーフィン中毒者がなぜ仕事ができないかというと、「……らしいですよ」という情報ばかりだからだ
「……らしいですよ」という無責任な発言をするアマチュアに仕事を任せようとする人間も会社も存在しない
伝言ゲームを思い出せばわかるように、ごく簡単な情報でさえ間に数人挟んだだけで噴飯モノの情報へと変わり果ててしまう
ネットで公開されている情報は、少なくとも誰かが見聞きした情報だ
ネットを見た人の情報に1次情報は一つもない
人とお金が殺到するのはいつも1次情報なのだ
ネットで情報収集しながら仮説を立てるのは悪くない
だがその後に必ず自分の五感で1次情報をキャッチしておくことだ
つまり行動することだ
デジタル化が進んでいるように見えるが、実はアナログの価値が急上昇している』
 
 
『難しい本を読むのをやめる
眠くてなかなか頭に入らない読書など時間の無駄だ
やさしい本を堂々と読むことのできる人が将来成功するのだ
限られた人生で嫌なことを嫌々やるほど無意味なことはない
典型的なのは難しい本を我慢して読んだふりをしている人
退屈で難しい本はたとえ仕事関連の本であったとしても読むべきではない
眠くなってなかなか頭に入らないから単なる時間の無駄だ
それなら難しい本をさっさと手放して、同じ分野のもっとやさしくて読みやすい本を数冊読んだほうが遥かに理解を深めることができる
やさしい本を数冊読んでから難しい本にチャレンジすれば、最初から難しい本に挑むより時間の無駄にならない
ところが世の中には本を読むことが好きなわけではなくて、「難しい本を読んでいる姿を人に見られるのが好きだ」という人が多いから始末に悪い
「初歩からわかる○○」「もう一度中学生から」と銘打ったタイトルの本を堂々と読むことのできる人が、本当の読書家であって将来成功していく人だ
難しい本というのは人によって異なる
物理学者にとって物理学の本はスイスイ没頭して読み進めることができるだろう
でもその物理学者が文学に何ら興味のない人であれば、小説は難しい本になってしまう
難しい本が読めるようになるには、プロセスがある
あなたが時間を忘れて没頭してしまうような本をひたすら読みづ続けることだ
大好きな分野の本を読み進めていくその過程で、参考文献や文中の引用文から次々に自分が難しいと思い込んでいた分野にも興味が拡がっていく
先ほどの物理学者にしても、尊敬する別の物理学者がアガサ・クリスティーのファンだと知った途端ミステリー小説に没頭する可能性がある
読書なんてもっと肩の力を抜いて自然体で臨めばいい』
 
 
『夢を語るのをやめる
「こうなったらいいな」と夢を語る人は、語り続けて一生を終える
夢なんて叶わない
叶うのは常軌を逸した勘違いだけだ
まずはこの事実をちゃんと受容しておくことだ
夢を語ることが夢を実現させるのに有効であるならば、夜の居酒屋にわんさと群がっているサラリーマンたちは全員英雄になっているはずだ
ところが今までそんな話を聞いたことがない
むしろ群がって夢を語り合うことによってアゴの筋肉ばかりが発達して、行動力が鈍ってしまう
世の中には夢を語り続けることで人生を終えていく人が圧倒的多数だ
夢を語る人の特徴として「○○だったらいいのに」「いずれビッグになってやる」といった口癖がある
実はこれは夢が叶わない人の典型的な口癖なのだ
「○○だったらいいのに」というのは「……でも現実は違うのよね」というメッセージが潜在的に含まれている
「いずれビッグになってやる」というのは「……でも今はスモールだけど」というメッセージが潜在的に含まれている
前半の「○○だったらいいのに」「いずれビッグになってやる」は建前であって嘘なのだ
後半の「……でも」という部分こそが本音であり真実なのだ
もちろん本人は建前ではなく本音の人生を歩み続けていくから永遠に夢は叶わない
夢を実現していく人はある意味思い込みが激しくて法螺吹きが多かった
まだ実現してもいないのに、まるで実現したかのように恍惚とした表情で語るのだ
もう実現することを知っているかのように振舞っているのだ
本人は夢を語っているつもりはなく、すでに完全に現実のこととして語っている
余りにも勘違いが激し過ぎて、周囲の人たちが現実を問い質すのを躊躇するくらいだ
勘違いの継続力こそが、あなたの夢を形にしていくのだ』
 
 
『電車に乗るのをやめる
短い距離の移動ならタクシーを使おう
最初の頃は無理をしていても、次第にあなたの生活水準が追いついてくるだろう
毎日当たり前のように通勤電車に乗っているあなたへ
いつからそれが当たり前と思うようになったのか思い出せるだろうか
本当にあなたは幼稚園や小学生の頃、自分が満員電車に揺られながら通勤することを想像していただろうか
まさか想像していなかったはずだ
この世の中に当たり前のことなど何一つ存在しない
当たり前の数が多くなっていく現象を老化と呼ぶ
現実問題として通勤電車とは無縁の人生を送っている人はたくさんいる
目覚まし時計と縁のない人生を送っている人はたくさんいる
好きな時に好きなことだけをやっていられる人生を送っている人はたくさんいる
当たり前の基準なんていくらでもずらしていくことは可能だ
電車に乗っていると電車に乗っている人の表情になり、電車に乗っている人の行儀作法になっていく
厳しいことだがこれが現実なのだ
できれば移動にはタクシーを使おう
都会であれば自転車も悪くない
距離の問題があって仕方のない時には新幹線や飛行機の特別席を予約しよう
最初の頃は多少無理していても、次第にあなたの生活水準が追いついてくる
電車に限らず、当たり前と思っていることを一つずつ取り外していこう』
 
 
『背負うのをやめる
人間は自分の器以上の責任は絶対に背負うことができないようになっている
がんばって背負っているのは「偽者」だから、背負われている人にとっては迷惑なのだ
「自分は会社の看板を背負っている」「こんなにたくさんのお客様の期待を背負っている」「家族の幸せを背負っている」と吹聴している人がいる
聞いていて暑苦しいだけだ
本当に器があって何かを背負っている人間は、自ら背負っているなんて決して口にしないし思ってもいない
器が小さい上に何の責任もなく「一体、キミにどんな守るモノがあるというの?」と聞きたくなるような人間に限って、自分だけが何かを背負っていると思い込んでいる
人間は自分の器以上の責任は絶対に背負うことができないようになっている
だから背負わなければならないとがんばる必要はまったくない
むしろがんばって背負わないようにしなければならない
がんばって背負っているのは偽者だから、背負われている人たちは迷惑なのだ
「こんなにオレはお前たちのためにがんばったのに!」「誰のために毎日こんなに遅くまで働いていると思っているのだ?」と言われても、言われた人たちは困ってしまう
こんな人に背負ってもらっては、いずれ潰れてしまうのは目に見えているからだ
背負う必要なんてどこにもない
背負って自滅してはいけない
背負っているように感じたら、「自分にはその器がないので辞退させてください」と正直に告白すべきなのだ
それが告白できたら、あなたも周囲も必ずハッピーになるし怖いものはない』
 
 
『継続するのをやめる
自分で「がんばっている」とか「努力している」と感じた時点で、それは好きなことではないからさっさとやめてしまうことだ
無意識に続けていることこそが、あなたの好きなことであり、人生だ
この世の中に「しなければならない」ことなんて何一つ存在しない
「勉強しなければならない」というのは嘘だ
勉強なんてしなくたっていくらでも生きていく道はある
「続けなければならない」というのも嘘だ
10年続けることができている人は、決して「しなければならない」と思って続けたわけではない
ここが大切なところだ
続けることができた人は気がついたら続けてしまっていたのだ
本人はがんばったつもりはまったくない
好きなことをやり続けていたら10年も経ってしまったと本人が一番驚いている
好きなこととは何か
気がついたらついやってしまっていることである
気がついたらつい文章を書いてしまっている人が作家になる
気がついたらつい絵を描いてしまっている人が画家になる
気がついたらつい作曲してしまっている人が作曲家になる
それだけの話だ
周囲から見たら努力して続けているように見えるが、本人からしてみたら「こんなに好きなことに没頭させてもらって申し訳ない」と恐縮しているくらいだ
自分でがんばっているとか努力していると感じた時点で、それは好きなことではないからさっさとやめてしまうことだ
好きなことに申し訳ないから
好きなことをやり続けていると、ますます好きになっていく
無意識に続けていることが、あなたの好きなことであり人生そのものなのだ』
 
 
『あなたが大切に握っているそれは、栄光ではない
ウンコだ』
 
千田琢哉、「やめること」からはじめなさい

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こんばんは

知人がつくってくれたかなり凝ったmix音源を、半年、下手したら1年越しに聴いています

けっこう反省しています。マイペースと無礼を履き違えたらいけませんやね

今日はまじめにスタートしています

guts koporu takkaです

 

 

当ブログのポリシーやら、なんやらかんやら

 

さて、ここまで読んでいただいた方であればすでにけっこう読み疲れしていると思われますので、なるべく短めにまとめたいと思います

けっこう書き出していますが、あくまでわたしが強く感じたことを抜き出した〝エッセンス〟ですので、本の内容的には3分の1もないと思います

内容をどこまで引用、転記していいかはけっこう悩むところですが、書籍だけではなく音源などに関しても、〝人の目に触れなければ意味がない〟とわたしは思っています

たとえば音源であれば、とくに大手のレーベルなんかはyoutubeなんかに音源が流れることを過剰に嫌ったりしますが、そんなことをしても逆効果だって気づかないんですかね?

賢いところは、自ら音源をupしたりしてますけど

 

いまの時代、もちろん合法ではないけれど、手に入れようと思えば簡単にネット上で海賊版が手に入ります

それに対して撲滅運動をするのはひとつのアクションではありますが、あまり、いや、ほとんど意味ないと思います

それは、ひとつの〝時代の流れ〟だからです

それであれば、それを逆手にとってなにができるか、どうすれば時代の流れに乗ったビジネスの方法に切り替えられるのか考えたほうが話は数百倍はやいと思います

 

まずは〝知ってもらう〟ことでliveにきてもらう、グッズを買ってもらう。こんなことはいまさら書くことでもないですけど

そして、なんだかんだ買ってくれる人は一定数必ずいるものです。そういう人に対してどういった付加価値を提供できるのか、というところではないでしょうか

 

本に話を戻せば、この本は図書館でも借りられる本です。もちろん全ページスキャンして公開していたらそれは話が違うけども、まずは中身を知ってほしい

そしてこの本のほかの内容が読みたかったり、千田琢哉さんの本に興味をもってくれたら買ってもらったり、図書館でリクエストしてもらったりしていただければいいんじゃないかなあ、という思いで紹介しています

少なくとも自分が、いいと思った本が埋もれるのは悲しいですからね

 

これはもちろん著者の意見ではありませんがw、当ブログのポリシーの一端でございます

前置きが長くなりましたね

 

 

夢にこちらから出向き、現実をつれてくる

 

たぶん本題のほうがみじかくなるんですが‥w

わたしはこの千田琢哉という方の本が大好きです

たくさん本を出されているのでけっこう内容かぶってたりしますが、それでも何度でも読みます

一冊をいっかい読んだくらいで頭に叩きこまれるってことはないですからね

 

著者自身が書いているとおり、いちどにすべてを鵜呑みにして手放したらえらいことになります

会社もやめた、急に移動は全部タクシー、スーパーの値引き品はいっさい買わない

これでは破綻が待っているだけですw

 

しかし、書いている内容は本物だと思いますね

それはもう、未知の部分に関しては直観としか言いようがありませんが、ちょっと身の丈と違っても、少し背伸びすればできそうなことならやってみることがいちばんだと思います

 

なぜなら、自分から近づこうとしなければ望むものはやってこないからです。待っているだけ、想っているだけではやってこない

わたしは最近自分が住んでいる函館市内のホテルに一泊しました

窓から景色を眺め、そこでものを書いている自分の姿が未来と少しシンクロし、これをもっと日常に近づけたいと思いました

住んでいる地域のホテルに泊まるのはたしかに贅沢ではありますが、もしほんとにそれをやってみたいなと思った人がいたら、ぜひ実行してみたらいいと思います

わたしは個人的に、なぜみんなやらないんだろうと思いました

どうせホテルに泊まるなら旅行先で、という感覚はもちろんわかりますが、ちょっと気分を変えたいときに、近くのホテルに気軽に泊まれたら素晴らしいと思いませんか?

 

そう思ったら、実際に行動を起こしてみないと現実は接近してこないのです

もちろんわたしもしょっちゅうホテルに泊まる資産など持ち合わせておりませんが、まずは少し背伸びしてやってみる

そして少しずつ回数を増やしていく。そうすると、現実がこちらに合わせて追いついてきます

近い将来、その状態がふつうになる、泊まりたいと思ったときにいつでも泊まれる状態になると確信しています

もうそういう状態になったくらいの気持ちで、どんとかまえてやってみる

そこが肝要です

 

 

なんだかんだ長くなりましたが、このへんでしめておきましょう

バイバイ!