ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

おいしく食べている肉と、横にいる家族としての動物は、なにが違うのだろう

『 ノミに比べればイヌのほうが感情移入しやすい(エリック・グリーン) 』

 

『 イヌに口がきけたなら、飼う楽しみは台なしになる(ボブ・ディラン) 』

 

『 おぼれるハツカネズミの目を見て、そこに生きる意志を持った生きものを見てしまった
ぼくがとまどったのは、ハツカネズミがあきらめたということ、自分が死ぬと悟ったことなんです 』

 

『 人の道徳は一貫性がない。動物に残酷なことをしたくないのはわかる。でも肉は美味しい。ペットはかわいい。実験動物だって必要だ
すべての場合を都合よく合理的に仕分けできるような基準があるだろうか?
ない。いい加減でよいのだ、というかそれしかないのだ 』

 

ハロルド・ハーツォグ、ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

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こんばんは

東スポの記事と、うちの奥さんの「大変だ!」はあてにならない

guts koporu takkaです

 

 

さて本書ですが、この本をなぜ読んだのか?それはわたしの個人的な目的と関係があります

いまこれといって直接的な活動はしておらず、なおかつ友人・知人でものすごく精力的に活動している人たちがいるのであまり大口はたたけないのですが、自分自身の思考を整理する意味もこめて書いておこうと思います

 

ここでは簡単に流れだけ書いておきますが、まずわたしはある日なにげなく夕方のニュースを見ていました

そこでは、〝犬と猫の殺処分〟に関する特集が組まれていました

かなりはしょりますが、わたしは〝殺処分をゼロにしたい〟と強く思いました

そこからいろんな書籍などをあたっているとき、ふと思ったことがあります

 

「殺処分をゼロといっても‥いつも自分は動物の肉を食べているじゃないか」

 

 

人の道徳は一貫性がない。動物に残酷なことをしたくないのはわかる。でも肉は美味しい。ペットはかわいい。実験動物だって必要だ
すべての場合を都合よく合理的に仕分けできるような基準があるだろうか?
ない。いい加減でよいのだ、というかそれしかないのだ 』

というようになんでもかんでも詰めまくってもしようがない、ということもたしか

そして、わたしはべつに動物愛護家でもなければ動物実験に反対しているわけでもありません

シーシェパードなんかはfuckです

ただ、それをやるのは自分だ、と思ったからとしかあまり言いようがありません

愛護センターのドリームボックスのなかで二酸化炭素で死んでいくのは、なんだか命がうまく廻っていない感じがしましたしね

 

ただ、やはり〝食肉〟に関する矛盾だけは解消しなければ先にはすすめなかった

これから先も肉を食べて生きていくならばせめてきちんと学ばなければ、と思いこの本と、屠殺(とさつ)や肉そのものに関する本などを数冊読みました

その入り口としては悪くない本だったと思います

自分がまさに疑問や矛盾に感じていたことが書いてありましたからね

それに関する答えや解決策があったわけではないけれど

 

人間なんてそんな高尚なものじゃありません

シーシェパードのようにたいそうな大義名分を掲げてやりたい放題やるような連中はまったく信用に値しません

 

ノミに比べればイヌのほうが感情移入しやすい(エリック・グリーン) 』くらいのことを言う人のほうがまだ信用できます

その奥の、本心はまた別にして

 

 

今回は殺処分というより食肉の話がメインになりましたが、

おぼれるハツカネズミの目を見て、そこに生きる意志を持った生きものを見てしまった
ぼくがとまどったのは、ハツカネズミがあきらめたということ、自分が死ぬと悟ったことなんです 』

というのもまた真実のひとつです

それでも僕らは、少なくともわたしは肉を食う

それであれば、命について学ぶこと、最低でも自分を生かす命に対する感謝を、忘れずにいたいものですね

 

 

ではこのへんで

バイバイ!