ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

日常は生きている。カレンダーの外側で

『未知こそ自由だ。誤りすら可能性を作り出し、同じ誤りの中で堂々巡りをせぬ限り、一つの思考が、必ず、次の思考の道しるべとなる』

 

『左手は 火足(ひたり) すなわち 陽にして霊。右手は 水極(みぎ) すなわち 陰にして身
柏手(かしわで)とは、陰陽の調和、太陽と月の交錯、霊と肉体の一体化を意味し、火と水が交わり火水(かみ)となる
柏手は身たる右手を下げ、霊たる左手へと打つ。己の根本元理を霊主に定め、身従う
このとき火水は神に通じ、神性開顕(しんしょうかいけん)となって神意が降りる。手を鋭く打ち鳴らす音は天地開闢(てんちかいびゃく)の音霊(おとだま)、無に宇宙が生まれる音である
それは天照大神の再臨たる天磐戸(あまのいわと)開きの音に通じる。柏手をもって祈念するとき、そこに天地が開く
そして磐戸が開き、光明が溢れ出る。光明とは、いわば種々に矛盾した心が、一つとなって発する輝きである
その輝きは自分の貴賎を問わず、老若男女を問わない。恐れや迷いを祓い、真に求めるものを己自身に知らしめ、精神潔白となる』

 

『お前は、それほどのものを脳裏に描き、実現のために邁進できるか』

 

『何を土台とすべきか。大地である。遥か彼方の天を眺めようとする前に、己の足元である大地を、再設定すべき
まずは地の定石をつかむ。そして天の理を我がものにする』

 

『天に手を触れようというのです。生涯をかけねば届きはしませぬ』

 

冲方丁天地明察

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こんばんは

ヨーグルト、『恵』によってどんどんガセリ菌とビフィズス菌が注入されています

guts koporu takkaです

 

 

未知こそ自由だ。誤りすら可能性を作り出し、同じ誤りの中で堂々巡りをせぬ限り、一つの思考が、必ず、次の思考の道しるべとなる』

これはですね、まあ〝失敗を恐れるな〟的な大きな話を今回するつもりはないんですが、最近わりとのんびりしながら、〝とことんマイペース〟に、〝自分はなにが好きでなにがしたいのか。本当にそれはしたいことなのか〟などをがっちり意識しながら生活していたら、わかったというか改めて深く認識したことがあります

 

わたしは最近、自分でこうしようと思ったことをなかなか実行できなかったり、前に進まない現状(そんなことないんですけどね)にプレッシャーを感じ、わけわかんない感じになっていた感があるのですが、そのなかで薄々思っていたこと

ルーティンワーク(習慣的行動)はやはりとても大事です。気持ちをリセットしたり、自分を維持していくうえで

しかし、改めて確認したことはそれじゃありません

 

〝毎日は、同じじゃなくていい〟

 

当たり前のように思えますが、わたしは変な完璧主義があるのと、ルーティンの大切さを感じていたので、毎日自分がやろうと思ったことを、時間帯を含めきっちりやりきれないところにすごく焦りのようなものを感じていました

しかし、当然ですが一日として同じ日はない。毎日、起こることは変わるわけです

そのなかでいかにルーティンを保つかってのも大切なことですが、完全に毎日同じ時間に同じことなんてできるわけがない

それは、逆に適応能力を下げる。ということを強く感じました

それよりも大切なのは、いつもと同じことができなかったりずれこんだとしてもそれを実行したり、動揺しない〝軸〟

まだ、自分には軸が足りていない

こういう、もう持ってると思っていたものがまだまだ不十分だと思い知らされることは度々ありますよね

自分の軸、なにかあっても〝戻ってこれる真ん中〟はわりと自信があったんだけど‥

まだまだだってことですね

いま、少しずつですが必ず必要になる軸を、生活のサイクルを構築しながらつくっています

あんまり〝サイクル〟に執着しすぎるとまた同じことですけどねw

何を土台とすべきか。大地である。遥か彼方の天を眺めようとする前に、己の足元である大地を、再設定すべき
まずは地の定石をつかむ。そして天の理を我がものにする』

という感じでしょうか

 

 

そして、自分の軸、本当の想いを知るためには、

左手は 火足(ひたり) すなわち 陽にして霊。右手は 水極(みぎ) すなわち 陰にして身
柏手(かしわで)とは、陰陽の調和、太陽と月の交錯、霊と肉体の一体化を意味し、火と水が交わり火水(かみ)となる
柏手は身たる右手を下げ、霊たる左手へと打つ。己の根本元理を霊主に定め、身従う
このとき火水は神に通じ、神性開顕(しんしょうかいけん)となって神意が降りる。手を鋭く打ち鳴らす音は天地開闢(てんちかいびゃく)の音霊(おとだま)、無に宇宙が生まれる音である
それは天照御大神の再臨たる天磐戸(あまのいわと)開きの音に通じる。柏手をもって祈念するとき、そこに天地が開く
そして磐戸が開き、光明が溢れ出る。光明とは、いわば種々に矛盾した心が、一つとなって発する輝きである
その輝きは自分の貴賎を問わず、老若男女を問わない。恐れや迷いを祓い、真に求めるものを己自身に知らしめ、精神潔白となる』

が有効かもしれませんね

なにかを探してひとり旅に出るのであれば、海外の前に自分のなかを旅してみるのもいいかもしれません

 

ルーツを持たない人間が海外に行ってもなにもできない、とはよく聞きますが、ルーツというのは日本という意味だけではなく、〝自分の根っこ〟のことでもあるのではないかな、と思う今日このごろです

 

ではこのへんで

バイバイ!