突き抜けて純粋なものは、届く
『 梢は天へのつながり、幹は今生、根は死の国へのつながりを想わせる。巨大な樹は最も原始的な信仰の対象だ 』
『 〝怒り〟は全ての心を凍らせ、〝哀しみ〟は静かに、深く、うねる
怒りと哀しみを含みながら、そのどちらをも超えたもの、それは歌。歌こそ、人類が手にしたもので最も強くて素晴らしいもの 』
『 言葉と音楽は同じだ。どちらも想いを伝えるためにあるもの 』
『 人が認めてくれるかどうかなんてどうでも良い。大事なのは、誰に向かって歌ったら気持ち良いかってこと 』
こんばんは
昨夜奥さんが定期的なお腹の張りを訴え、
ついにきたか!!と思っていたんですが‥
今日、何事もなかったように、
guts koporu takkaです
『 〝怒り〟は全ての心を凍らせ、〝哀しみ〟は静かに、深く、うねる
怒りと哀しみを含みながら、そのどちらをも超えたもの、それは歌。歌こそ、人類が手にしたもので最も強くて素晴らしいもの 』
歌って、ときどきなんて不完全で、なんのためにあるのか‥
みたいな気持ちになるときがあるんですよね
まあ、口笛だとかもあるし、
他の楽器だって人間が演奏していることには変わりない
でも人間の身体そのものを使ったこの楽器には、
ときにすごい不完全さを感じる
でもそれと同時に可能性も感じるんですね
歌
それがなかったら、なんて音楽はつまらないんだろう
インストゥルメンタルの音楽も素晴らしいけど、
〝人間そのもの〟をいちばん表現できるのは、
やはり歌なのかな、と思います
まあ、だからこそギターとかサックスとかで
人間を表現する人のすごさ、とか話は堂々巡り
するんですけどねw
『 言葉と音楽は同じだ。どちらも想いを伝えるためにあるもの 』
〝言葉が力を失ったとき、音楽が鳴り始める〟
みたいな言葉がありましたよね
兄弟みたいなものなんですかね
兄ちゃん、次は俺が行くよ!みたいな
『 人が認めてくれるかどうかなんてどうでも良い。大事なのは、誰に向かって歌ったら気持ち良いかってこと 』
これは、昨日の岡本太郎さんの本でも同じようなことを
言っていましたね
理解を得られるかなんて、どうでもいいんだ、と
それを読んだときはイギー・ポップが
『俺のやっていることを理解なんてされてたまるか』
みたいなことを言ってたのを思い出しました
まあ‥
あんまりそっちに傾き過ぎても、
場合によってはジャイアンリサイタルになっちゃうと思うんですけど‥
でも、オーディエンスやリスナーに寄り過ぎた、
媚を売ってる音におもしろみがないのもほんとですよね
見たことない世界を見せてほしかったのに、
それはもう知ってるよ‥
みたいなね
常軌を逸した〝ふり〟ではなく、
ほんとに逸している人にはやはり惹かれますよ
どこまでも純粋なものは、
最終的には通じる
これも岡本太郎さんが言ってたことですね
おや!
昨日は意見しまくっていましたが、
今日になって太郎さんの言葉を引用しまくってますね
さすが、
おみそれいたしました、太郎さん!
ではこのへんで
バイバイ!