ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

覚悟を決める。そして整い切る前に、動く

こんばんは!

 

微妙にお久しぶりの、

guts koporu takkaです

 

例のブログを読んでお勉強?

と言うかその読んだ回は

 

〝私の好きなブログを教えます〟

 

みたいな感じだったので、

勉強したうちに入るのか‥?

と思っていましたが、

 

明日から仕事が始まるので

一本書いておこうと思います

 

あ、ホテルのアルバイト、

おかげさまで無事に受かりましたよ!

 

深夜のフロントスタッフなので

慣れるまで少し大変かもしれませんが、

明けは丸一日休みのようなものだし、

その他にきちんと休みもあるので、

出勤自体は11日とかそんなものです

 

きちんとネットビジネスの勉強もできそうだし、

子どもも生まれたばかりなので、

いい仕事が見つかったと思います

 

 

ちなみに、

もうひとつブログの勉強ネタで、

(言われるがままに)

詳細な

 

アクセス解析

 

を導入しようとして、

さっそく挫折しましたw

 

なんか一気にハードルが上がった感じがして、

思わず

 

〝ブログ アクセス解析ソフト 不要〟

 

Google検索してしまいましたw

 

‥‥‥

 

頑張ります!

 

 

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池田貴将、覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰

 

 

 

ロード・トゥー・リバタリスト

 

『翌年、再び黒船がやってくると、「日本にとって今なにが一番大事なのか」を

明らかにし、すぐさま思い切った行動に出た
松陰はこう言い残している
「今ここで海を渡ることが禁じられているのは、
たかだか江戸の250年の常識に過ぎない
今回の事件は、日本の今後3000年の歴史にかかわることだ
くだらない常識に縛られ、日本が沈むのを傍観することは我慢ならなかった」
彼は素晴らしい戦略家だったが、こういうときはろくに計画も立てなかった
「動けば道は開ける!」とばかりに、小舟を盗むと、荒波の中をこぎ出していって、
そのまま黒船の甲板に乗り込んだ
(中略)
松陰は生まれたときから空気のように存在していた「しきたり」を破り、
行動をもって自分の信念を貫くことをよしとした
そんな情熱家である一方、松陰は大変な勉強家でもあった
旅をしながらでも本を読み、牢獄に入れられても読みつづけた
それもただ黙々と読むのではない
人物伝を読みながら、その人物の清い態度に号泣し、軽率な行動に激怒し、
華々しい活躍に踊りあがった
頭ではなく、感情で学ぼうとする男だった。まるで子どもである
だからこそ学んだことが、ストレートに行動へつながったのかもしれない
(中略)
いつ出られるかもわからない牢獄の中で、
松陰はそこにいる囚人たちを弟子にすることになる
(中略)
松陰は身分や出身によって人を選ぶことなく、
一人ひとりから才能を見つけようと親身になった
(中略)
松陰は
「いかに生きるかという志さえ立たせることができれば、
 人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝手に学んでくれる」
と信じていた
だから一人ひとりを弟子ではなく友人として扱い、
お互いの目標について同じ目線で真剣に語り合い、
入塾を希望する少年には
「教える、というようなことはできませんが、ともに勉強しましょう」
と話したという
教育は、知識だけを伝えても意味はない
教えるものの生き方が、学ぶ者を感化して、はじめてその成果が得られる
そんな松陰の姿勢が、日本を変える人材を生んだ』
 
 
これ‥
最後の
 
『いかに生きるかという‥』
 
のあたりから、
私がいまネットビジネスを学ばせていただいている方と、
ほとんど同じ考え方なんですよね
 
自分がどういう生き方をしていくかという〝旗〟を立てれば、
同じ志を持った人たちが集まってきて、
自分たちで学びあってくれる
 
ちなみに、旗は
 
〝自由人への道〟
 
です
 
他人の可能性を拓きながら、
自分も成長していく
 
きっとここでも紹介していくと思います
 
楽しみに待っていてくださいね!
 
 
 
 
 
 
明日を待たず、今日動く
キリの悪いところから始められる人が、
想いを実現していく
 
『動きながら準備する
やろう、とひらめく
そのとき「いまやろう」と腰を上げるか、
「そのうちに」といったん忘れるか
やろうと思ったときに、なにかきっかけになる行動を起こす
それができない人は、いつになってもはじめることができない
むしろ次第に「まだ準備ができていない」という思い込みの方が強くなっていく
いつの日か、十分な知識、道具、技術、資金
やろうという気力、いけるという予感、やりきれる体力、
そのすべてが完璧にそろう時期がくると、信じてしまうのだ
だがいくら準備をしても、それらが事の成否を決めることはない
いかに素早く一歩目を踏み出せるか。いかに多くの問題点に気づけるか
いかに丁寧に改善できるか。少しでも成功に近づけるために、
できることはその工夫しかない
よく行動する人は、知識は必要最低限でいいと考える
なぜなら実際に動く前に、わかることなんてほとんどないと知っているからである
だからよく失敗する。だがそれで「順調」だと思っている
そのように私たちの脳は、自分の行動をうまく正当化するようにつくられている
小さくても、「一歩を踏み出す」という行為さえ続けていれば、
「なぜこれが正しいのか」脳が勝手に理由を集めてくれる
吉田松陰は、行動につながらない学問は無意味だと考えた
大切なのは、不安をなくすことではない
いかに早く、多くの失敗を重ねることができるか
そして「未来はいくらでも自分の手で生み出すことができる」という自信を、
休むことなく生み続けることなのである』
 
 
これは、とても大切です
 
現実面でも
 
精神的にも
 
〝整ってから動く〟
 
のではないのです
 
もちろん、
事前の準備はもの凄く重要です
しかし、
線引きをしないと、
永遠に準備だけして終えることになります
 
〝動きながら整える〟
 
が正解です
 
計画は狂うものです
 
精一杯考えて
 
できる限りの準備をして
 
 
日が暮れないうちに、
動き出すのです
 
 
 
 
 
 
当たり前を、分解する
 
『輪の中にいると見えなくなる
人が心ないことをしてしまうとき、
当人はそれが「ひどいこと」だとは自覚していないし、少しも気にしていません
もしも部外者ならば、はたから見て「ひどいこと」だってわかるはずです
ですが人はひとたび輪の中に入ってしまうと、どんなに賢い人でもその中に埋もれて、
自分のやっていることに、気づかなくなることがあるんです
ですから、ときどき自分たちの行いを客観的に考えてみることが大切です
「もしかしたら私たちは、どうかしているのかもしれない」と』
 
 
大企業
 
お役所
 
世にも奇妙な暗黙の了解や、
まかり通る理不尽
 
いつの間にかそれが当たり前だと思ってしまう
 
みんな我慢してるのに、
自分だけが我慢しないのは自分がワガママなんだ
 
そうして人は、
見事に洗脳されていくわけです
 
ハッとしたならまだ遅くないですよ
飛び出してください
脚が腐ってしまわないうちに
 
 
これは、
世の中のいろんな
 
〝アタリマエ〟
 
もそうですね
 
当たり前だと思って疑いもしなかったようなことを、
一度分解してみると良いでしょう
ゾッとすることが、
たくさんありますよ
 
私も最近生まれたばかりの娘に
ワクチン接種の案内がどっさり送られてきて
ゾッとしたので、
 
本をたんまり用意して勉強を始めました
与えれた情報をただ鵜呑みにしてほいほいと従っているようでは、
 
大切なものを、奪われていくばかりです
 
 
ちなみに私も最近まで大企業の輪の中で
 
〝どうかしてる体験〟
 
をたくさんしましたが‥
 
この話は散々したので、
もういいですねw
 
 
 
 
では、
今回はこのへんで筆を置きましょう
 
なるべく早い復帰を祈っていてくださいw
 
以下に、
読書ノートの残りを貼っておきます
 
 
 
 
『懇願
お願いです。本当にお願いですから
たった一回負けたくらいで、やめないでください』
 
 
『そこに未来がある
自分の心がそうせよと叫ぶなら、
ひるむことなく、すぐに従うべきだと思います』
 
 
『見失ったときに立ち返る
なにか新しいことをはじめようと思うなら、
その前に「なんのために、そうしようと思っているのか?」
はっきり言葉にしておいた方がいいでしょう
はじめてしまってから
「なんのために、これをやっているのか?」
あわてて理由を探したところで、負け戦になるだけです』
 
 
『感動は逃げやすい
山の小道というものは、人が通っているうちは道ですが、
ひとたび人が通らなくなると、すぐに草が生え、ふさがってしまうものです
人の心も同じで、良い話は誰もが好きだから、
すぐに影響されて「自分もがんばろう」と決意しますが、
なにも行動に移さないと、すぐに心から逃げてしまいます
道ができるか、ふさがるかは一瞬です
やってみましょう
人はいつでも、いまこの瞬間から変われるのですから』
 
 
『夢を引き継ぐ者
「自分が実現させたいこと」について、
何度も考えて、考えて、考え尽くすこと
人と話すときは、その会話のはしっこでもいいから、
「自分が実現させたいこと」について語ること
平和や安定を愛しながらも、
いつまでも続く平和や安定はない、という事実を、
つねづね自分に言い聞かせること
誰かが問題や事件に巻き込まれたとき、
無関心でいたり、口を出すだけで済ませたりすることなく、
その解決のために、積極的に動くこと
そうすれば、
仮に「自分の実現させたいこと」が、
断然せざるを得ない状況になったとしても、
誰かがその夢を受け継いてくれることでしょう』
 
 
『やればわかる
行動を積み重ねましょう
必要な知識や言葉は、やっているうちに身につきます』
 
 
『わかっているふりの怖さ
一番の問題は、その問題が一体どこから生じているものなのか、
誰もわかっていないということです
わかっているなら解決に向かってもいいはずですが、
変わらないところを見ると、
どうもまだ気づいていないようです』
 
 
『恥ずかしいこと
凡人はまわりから浮いていることを恥じ、
賢人は細かいことを気にする自分を恥じます
凡人は外見が地味であることを恥じ、
賢人は中身が伴っていないことを恥じます
凡人は自分の評価が低いことを恥じ、
賢人は自分の才能が使い切れていないことを恥じます
本当の恥を知らない人間が、私は苦手です』
 
 
『人物
私が尊敬するのはその人の
能力ではなく、生き方であって、
知識ではなく、行動なんです』
 
 
『丸くなりたくない人へ
今までの常識を無視しようとする人
周囲から止められても、なかなかあきらめようとしない人
それ以外は全員、並の人です』
 
 
『人に影響を与えられる人
他人への影響力は、自分への影響力に比例します
他人の考え方を変えたいと思うならば、
まず自分の考え方を変えてみることです』
 
 
『話し合いの本当の目的
人間同士、意見がぶつかってしまうと、
つい相手を言い負かそうとしてしまうものです
しかし「皆にとって、どうなることが最善か」というポイントに向かうためであれば、
自分の意見など気持ち良く取り下げるくらい、
皆のために生きてほしいものです』
 
 
『使える部下がいないという勘違い
リーダーは忘れてはいけません
才能のある部下がいないのではなく、部下の才能を引き出せる人物が、
まだこの場にいないだけだということを』
 
 
『慣れ親しんだ場所から出る
ひとりの人間には多くの可能性がある
ただひとり、「自分」だけが可能性を制限することができる
今までの自分が、これからの自分を決定すると誰もが考えているのだ
生まれてから今日まで、いろんなつらいこと、痛みを感じることがあった
もう二度とそんな目に遭わないよう、「自分」はつねに的確な助言をくれる
過去の自分の言うことを聞けば安全で、安心だ
だが「心からの充実」は得られない
居心地の良い場所にい続ける限り、「本当にやりたいこと」はできない
むしろ新しい刺激に弱くなり、だんだん感性が鈍ってくるだけだ
志は現状維持を否定する
今のシステム、考え方、ルール、
そういうものを飛び越えないと実現しないものに、目を向ける
今、手にしている現実は、過去の選択の結果だ
そして未来は、今まさに、心で決めたことによって決まる
いつからでも。どこからでも
松陰の感覚は「うまくいくか知らないが、これをやらなければなにもはじまらない」だった
それは良い結果を出すためでも、周囲から称賛されるためでもなく、
人並み外れて強く、心からの充実感を手に入れたいと思ったがためだった
慣れ親しんだ場所から出たとき、自分にとって本当の人生がはじまる
「評判は傷ついても、生き方は傷つかない
 生き方を傷つけるのは、自分だけである」』
 
 
『知らないものを味わう
誰かが取り組んでいるからといって、
遅れて取り組もうとするのは「決断」とは言いません
先だって決断し、
まだ誰も足を踏み入れたことがない景色を見てほしいのです』
 
 
『ひとつのことに狂え
「私は絶対こうする」という思想を保てる精神状態は、
ある意味、狂気です。おかしいんです
でもその狂気を持っている人は、幸せだと思うんです』
 
 
『嘆かなくていい
勝手に言わせておきましょうよ
あなたが本気なのは、神様はわかっていますから』
 
 
『凡人の評価
やると宣言したことを
やり切ることができた人に対しては拍手喝采ですが、
もしも失敗してしまったらそのまま牢屋送り
世間の評価とはそのようなものです
ただ知らされた結果だけを見て、
手放しに称賛したり、激しく非難したりする
せめて、その仲間にだけはならないでください』
 
 
『やってきたことのペースを守る
ひとたび才能が開花すれば、周囲にもてはやされるが故に、
才能に振り回され、潰れてしまう人だらけです
本物になるまで二十年
ただ、愚直に動いていればいい
今がどんな境遇だったとしても、愚直に動いていれば、
いつか大きな花が咲くことでしょう』
 
 
『人同士の法則
仲間になろうと、かっこつけて誘っても意味がありません
仲間になりたければ、
はじめから仲間のように接すればいいのです』
 
 
ではまた次回、
お会いしましょう