ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

自分の頭で考えよう。〝答え〟はいったん置いとこう

こんばんは!

 

最近はホテルマンとしても活動している男、

guts koporu takkaです

 

夜勤なので3時間の仮眠があり、

寝れないもんだよ‥

との話をされていましたが、

 

安心してください!

ちゃんと寝れています!!

(流行語大賞狙い)

 

 

どこでもいつでも寝れる男、

それがguts koporu takkaです

 

南西沖大地震のとき私は10歳でしたが、

食器は割れ、道路は真っ二つの惨状のなかで、

ベッドに戻った私を見て両親は、

 

「こいつは死ぬな」

 

と思ったそうです

 

 

生きてますけどね!

 

 

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ちきりん、自分のアタマで考えよう(知識にだまされない思考の技術)

 

 

 

 

 

どこかで、鎖を断つしかない

 

『知識が思考の邪魔をするため、誰にとっても、

自分が詳しい分野において斬新なアイデアを受け入れることは、
よく知らない分野においてそうするよりはるかにむずかしいことです
 
よく知らない分野であれば、革新的なアイデアを寛容に受け入れる人も、
自分の専門分野については驚くほど保守的であったりします
保有する知識が多すぎて、どんなに斬新なアイデアを聞いても
頭の中からひっぱり出してきた知識によって
「そんなことは不可能だ。できるわけがない」
と否定してしまうからです
「詳しくなればなるほど、その分野での新しいアイデアに否定的になる」
傾向が見られたら、
「知識が思考を邪魔している」
ことを疑ってみた方がよいでしょう
 
反対に思考力のある人は、自分の専門分野においてさえ革新的で柔軟です
それは彼らが常にゼロから考えているからです
時代が変わり、世の中が変わり、新しい現象が出てきて新しい情報に触れたとき、
過去の知識ではなく、目の前の情報から考えることができるかどうか
それが「考えることができる人」とできない人の分岐点です
もしくは、
「時代の変化に気がつく人」と気がつかない人の違いともいえます
 
また、知識の中で特に影響力が大きいのは、成功体験と結びついた知識です
過去に大成功したという記憶(それ自体がひと固まりの知識です)が、
新しい情報に触れたときにシャシャリ出てきてゼロから考えることを妨げます
そうなると、せっかく時代の変革期に新しい情報に触れているのに、
過去の知識に囚われてしまい、先入観をもたずに考えることができなくなります
 
知識とは「過去の事実の積み重ね」であり、
思考とは、「未来に通用する論理の到達点」です
ちきりんは知識の重要性を否定しているわけではありません
知識と思考を異なるものとして認識しましょうと言っているのです
 
冒頭に、わざわざ「自分の頭で」考えるという言い方をするのはなぜだろう、と書きました
一部の「知識」は「過去において、他の人がその人の頭で考えた結果」です
それを私たちは書籍や講義、報道などを通して学んでおり、
自分の頭の中に知識として保存しています
なにかを考えろ、と言われたときにそれを頭の中から取り出してくるのは、
「他人の思考を頭の中から取り出してくる行為」に他なりません
他人の思考は正しい場合もあれば間違っている場合もあります
時代や背景となる環境条件が異なる場合も多いでしょう
 
さらに危険なのは、それが「大きな権威をもつ、メディアや専門家の思考」
である場合です
その分野の大家と呼ばれる人が書き、歴史の判定を受けて長く生き残っている名著には、
多くの場合「答え」が書いてあります
そんなすばらしい「答え」を目にしても、それに引きずられずに
「自分で考える」ことができなければ、
私たちは未知の世界に向けて新たな思考を拓いていくことができません
 
現代社会ではマスメディアの影響も絶大です
「金髪に鼻ピアス、下着が見えるほどずり下がった
 穴だらけのジーンズを履いた20代の若者」
を見て、「信頼できそうにない」と思う人は少なくないでしょう
けれどその人は、そういう風貌で実際に信頼できない若者を
現実に一人でも知っているのでしょうか?
「こういう風貌をしている若者は信頼できない」という知識を、
ドラマや断片的なニュースからすり込まれているだけではないでしょうか?
 
このように、私たちはしばしば他人の考えをまるで自分の考えであるかのように錯覚します
だからその戒めとして、
「誰かが考えたことではなく、あなた自身が考えたことが重要なのですよ」
という意味で、
「自分の頭で考える」という言葉が使われるのでしょう
自分の頭で考えること、それは
「知識と思考をはっきりと区別する」
ことからはじまります
「自分で考えなさい!」と言われたら、頭の中から知識を取り出してくるのではなく、
むしろ知識をいったん「思考の舞台の外」に分離することが重要なのです』
 
 
私がいつも、
 
自分の頭で考えましょう
 
と言っている源泉がわかったでしょうか?
 
 
この人の頭の中は、ほんとにおもしろいですよ
 
なにをとっても、いちいち発想が違います
そして心に刺さる
 
と言うより、
どう考えてもこの人が言ってることが真実な気がするんだけど、
なぜ世の中の人たちは、
 
そうじゃない方
 
を当たり前だと思いこんでいるんだろう‥?
と思ってしまうほどです
 
〝世の中の当たり前を分解する〟
 
ことはかくも重要なことです
 
その当たり前を疑うことなく従っていては、
 
〝大切なものをどんどん奪われる〟ばかりです
 
それはなにかって?
 
利権を貪る権威者たちや、
既得権益を守ろうとする〝思考の止まった〟オジサンオバサンは、
 
あなたの大切な人の命なんて、
特に重要視してはいないと言うことです
 
もちろん、
その真逆のことを訴えてのさばっているわけですけどね
 
 
ちきりんさんは、本やブログというメインコンテンツはもちろん、
けっこうツイッターで凝縮された言葉を放ちまくっているので、
フォローをオススメいたします
 
 
 
『金髪に鼻ピアス~』のくだりですが、
 
まさに〝お金に対するイメージ〟なんてそれが顕著なのではないでしょうか
 
世の中のドラマなんかでは、
長い間
 
〝悪意を持った成金たち〟
 
みたいな人が出て来て、それを成敗する、
みたいな構成が人気を得ています
 
はっきり言いますけど、それは
 
〝そこそこの暮らしをしてもらって、
 そこそこ不満を持っているけど現状を変えようと行動するほどでもない〟
 
ような思考を植え付けたい人たちが
テレビを通じて流している情報にやられているだけです
 
そういう洗脳を受けた人たちにとっては、
悪代官を民衆の見方が成敗する、
みたいな話はさぞやスカッとするでしょう
 
でも冷静に考えてください
 
そもそも、
そういう人だったら豊かになれないんですよ
 
お金は心のツールです
より多くの人に希望や豊かさを与えた人が、
それに応じた報酬をもらっているだけのことです
 
たしかに、悪どい方法で稼いでいるような人は現実にいますよ
私にしても、合法ではあるけど、やってることは詐欺と変わらないような仕事で
稼いでいたことがあります
 
でも、私を含め、
行いは確実に還ってきます
 
私が地獄を見てきたことは皆さんになんの関係もありませんが、
そういう人は放っておけばいいのです
 
必ず自滅しますから
 
なので、お金は汚いとかそういう洗脳は早めに解いたほうがいいですよ
〝奴らの〟思う壺ですから
 
そう、テレビのドラマとかニュースにしても、
作っている人自体に悪意はなかったりするのもやっかいだったりするんですけどね
 
なぜなら、その人たちもすでに洗脳されているからです
 
 
自分の意思で、鎖を断ち切ってやりましょう
 
 
 
 
 
ルールを変えると、あなたはもう一度生まれてくる
 
『ビジネスの世界では、
この「新たな選択基準=新たなフィルターを提示する」ことを、
「ゲームのルールを変える」といいます
従来は価格と機能で競い合うゲームだったのに、
明日からはデザインでの競争がはじまる
もしくは、今までは機能の多さで競っていたのに、
あるときから機能の少なさ(=商品のシンプルさ)が競われることもあります
これが「ゲームのルールが変わる」という状態です
 
自らルールを変えることなど思いつきもせず、
従来のルールの中で必死に勝利を目指すのもひとつの方法でしょう
しかしそれは時に、果てしなき消耗戦につながります
自分達が得意な分野で勝負ができるようにゲームのルールを変える工夫をしてこそ、
努力が正当に報われる世界にもち込めるのです
(中略)
重要なことは、与えられたフィルターになんの疑問ももたず、
そのまま受け入れて必死に頑張ることではなく、
「自分(自社)独自のユニークなフィルターを見いだし、
 それで勝負していこう!」
という発想に転換することです
 
自分独自の選択基準を見つけること、それがなにであるかを考えること、
それこそが「自分の頭で考える価値のあること」なのです』
 
 
はい、このブログを読んでくださっている方なら
ピンときているでしょうが、
 
テストに出ますよ!
 
ってくらい重要なところです
 
 
ゲームのルールを変える
 
私はいまネットビジネスの勉強をしています
 
それは、
時間をお金に変える
 
というルールを変える行為です
 
時間を削って稼ぐのではなく、
稼ぐことによって時間を作り出す
そして好きなことをして、好きなように生きる
 
そこからまた次のエネルギーが生み出される
 
まったく別のフィールドだと思いませんか?
 
 
まあ、とっくにフリーエネルギーが生み出されているのに
握りつぶそうとしている世の中ですから、
こういった考えが浸透することはなかなか難しいかもしれません
 
しかし、それは妄想ではなく確実に存在している事実なのです
しかも全然少なくない数
 
あなたに見えていないだけで、
隣にある世界なんですよ
 
 
探さない人には妄想にしか思えない
 
しかし、
探す意思のある人にはわりと簡単に見つかる
そういうものがそこかしこにあります
 
具体的な例を述べてみましょう
 
 
私はいま函館在住です
 
こっちに来たころは、
日雇いの肉体労働をしていました
大変学びの多い仕事でしたが、子どもができ結婚するため、
もう少しいいお給料をもらえる仕事を探しました
 
そのとき、多くの人は
「函館なんて15~20万がせいぜいだよ」
と私に言いました
 
しかし現実として私は固定給28万、
年収1億以上稼げる仕事を見つけました
 
そこを数ヶ月で退職し、
次に
〝富を追求することなく、必要なだけ自由に稼げる可能性〟
を発見しました
ネットビジネスのことです
 
そしてその勉強をするにあたって、
これ以上ないくらい最適なアルバイトを発見しました
 
いずれも、
自分があると信じていたら自然と見つかったものです
 
これを単に運が良いと解釈するか、
別な見方をするかはあなた次第です
 
このブログを読んでいる時点で、
そんな人はいないと思いますけども
 
 
いいですか?
そのルールは〝与えられた情報〟です
 
まず、
一切の条件がなかったら自分がなにをしたいのか考えてください
 
そしてそれは本当にできないことなのか考えてください
あなたの人生の話です
死ぬ気で考えましょう
 
でもめちゃくちゃ楽しんで考えましょう
 
矛盾してるって?
 
いえいえ、
これがあなた独自のルールを創り出すための、
 
唯一で最高な方法なのです
 
 
 
 
 
 
〝もっともらしい情報〟はあなたをどんどん麻痺させる
 
『考えるときはたいていなにかの情報を見て、それに基づいて考えますよね
しかしこの〝情報〟がくせ者です
よくわからない、わかりにくい情報はまだいいのです
困るのは
「あまりにわかりやすく、疑いさえ抱かせないけれど、じつはおかしな情報」です
(中略)
一見それらしいデータを鵜呑みにしていると本質的なことがまったく見えてきません
この意味で、「もっともらしいデータ」は「疑わしいデータ」より危険であるともいえます
たとえ権威ある報道機関からの情報でも
「本当なのか?」と疑う気持ちと、
実際にそのデータを追い求めて深堀りしてみることが、
自分の頭で考えるときには必須であるということでしょう』
 
 
権威ある機関からのもっともらしい情報と言えば、
最近だとうちはやはり子どもの予防接種でしょうね
 
しかし、これも自分独自の思考と感性の中のルールで
生きていく習慣が身についていると、
どんどん連鎖していきますよ
 
この大量のワクチン接種案内はなんかヤバい!
受けさせない方向で勉強、情報を集める
ワクチンを受けていないことによっていろいろ言われるのでは?
そうなるならそもそも付き合う人たちを間違えている可能性は?
義務教育(洗脳機関)を受けさせる必要がないのでは?
よし、もっと調べてみよう!
 
という感じで
 
義務教育に関してはワクチンの話だけではないし、
偏りなく調べることも重要です
 
否定派の情報を得たら、肯定派の話を聞いてみる
 
なんにせよ、
疑うのならそれ以上にしっかりと調べることです
 
 
ただひとつだけ気をつけてください
 
私がワクチンのことを調べたとき、
否定派の方は理論的にお話をされていました
 
しかし、肯定派の人は100%肯定しているような
なにか気持ち悪い感触を受けました
 
これはたとえであり、
まだ私も一部を見ただけです
 
しかし間違いないのは、
肯定するにしても否定するにしても、
 
全肯定
 
全否定
 
ということはありえません
 
そういう状態で話をする人にだけは、
耳を傾けてはいけませんよ
 
あっと言う間に取り込まれちゃいますから
 
 
 
ではこのへんで筆を置きましょう
 
不定期のブログですが、
次回を楽しみにしていてくださいね
 
以下に、
読書ノートの残りを添付します
 
 
 
 
『多額の敷金礼金や保証金がかかる賃貸住宅、
基本料金だけでも数千円ずつ必要な光熱費、
無料のはずなのに教材費や給食費、修学旅行など多額のお金が必要な義務教育、
高額のメンテ費用をかけて一年中掘り返され、キレイに整備された道路……
この国は「健康で文化的な最低限の生活を営むための生活費」が高すぎると思いませんか?
 
ちきりんは、スーパーマーケットで売られている
イチゴのパッケージを見るたび溜息が出ます
イチゴがみんな同じ方向に並んでいるからです
誰がイチゴをひとつずつ並べているのか知りませんが、
その手間代はイチゴ代金に含まれています
そしてその手間代を払える人しかイチゴが食べられないのです!
(こんなふうに並んだイチゴしか見つけられない国は、他にありません)
 
などという例は卑近すぎるとしても、海外の大都市の多くには、
家賃から物価までバカ高い高級住宅地がある一方、
格安に生活できるエリアが都市部近郊に存在します
そういった地域では、1ヶ月分の家賃が払えない人でも部屋が借りられるよう、
週ごとに契約できる安アパートが集まっていたり、屋台で格安な食事ができます
ミネラルウオーターのボトルもビジネス街の半額だったりします
また、塾に通ったり習い事をする子供も少なく、
「お金がないから子供が産めない」という話にもならないため、少子化も進みません
 
こういった地域を〝スラム〟とか〝貧困地区〟と呼ぶ人もいますが、
今の日本のあまりに高品質で維持費の高い住環境を考えると、
むしろそういった地域を「格安生活圏」として認知し、
その存在を認めていくのもひとつの方法ではないかと考えています
 
こう書くとすぐに
「格差の固定化を認めるのか!?」などの反論を受けるのですが、
現実に格差があるのに全員に同じレベルの家賃や光熱費を払わせるから、
お金がなくてアパートを追い出されたり、
電気を止められる人が出てきているのではないでしょうか?
「たまに停電するけれど、電気代の基本料金はゼロ」というような、
「サービスレベルは高くないけれど、格安に暮らせる地域」があれば、
今よりラクに暮らせる人は確実に増えると思います
 
いずれにせよ、今の日本の財政状況の深刻さを考えると、
これからは「ありえるすべての可能性を検討する」ことが必要になるでしょう』
 
 
ではまた次回、
お会いしましょう!