ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

福を惜しむ、福を分け与える、福を植える

おはようございます

 

‥と書くの、

どれくらいぶりでしょうか?

もしかして初めてかな?

 

今日は朝からお送りしています

guts koporu takkaです

 

 

せっかく早く起きたので、

王様のブランチの文芸書ランキングでも観ようかな、

と思います

 

 

f:id:c-b-a-from466:20151121075056j:plain

 

幸田露伴超訳 努力論

 

 

 

『運命は自分で支配せよ

運命に支配されるよりは、運命を自ら支配したいと願うのが、
われわれの自然な思いだろう
それなら、なぜ自らを卑下したり、自分自身がもっている能力を
過小評価したりするのか
そんな必要はない。もっと自信をもって前に進み、自分の運命を
切り開いていけばいいのだ』
 
皆さんは、運命や業(カルマ)というものは、
翻弄されるものであっても、
自分のコントロール下にはない、
と思い込んでいないでしょうか
 
私もいま勉強中ですが、
・お金の自由
・健康の自由
・人間関係の自由
自己実現の自由
・運命、カルマからの自由
 
は実現できます
それを実現して、
初めて本当の自由へのスタートラインに立った、
と言えるのかもしれません
 
私はいま、
1年のうちに(来年の10月くらいかな?)、
この自由を実現することをFacebookを通じて
周囲に宣言しています
 
よろしければ、
皆さんも経緯を見守っていただければ幸いです
 
と言うより、
皆さんも一緒に自由を獲得しましょう!
 
 
 
 
福を植える
 
『福を得たいなら福を植えよ
世の中には、福をもちたいと切望する人が非常に多い
しかし、実際に福をもっている人は少ない
また、福を得たとしても、福を惜しむことを知っている人は少ない
さらに、福を惜しむことを知っている人でも、福を分け与えることを知っている人は少ない
そして、福を分け与えることを知っている人でも、
福を植えることを知っている人はさらに少ないのだ
この世の中では、米を得ようとすれば稲を植えることに、
またブドウを得ようとすればブドウの木を植えることに優る方法はない
これと同じように、福を得ようとすれば福を植えることに優る方法はないのだ
しかし残念なことに、世の中を見てみると、
福を植えることを回りくどいことだとして敬遠する人があまりにも多いのである』
 
これはどういうことか、
わかるでしょうか?
 
まずは
『福を惜しむ』
 
これはたとえばなにかのお祝いを頂いたとします
お給料とかでももちろん構いません
それをすべて使わない
 
貯金‥も間違いではないのですが、
どちらかと言うと、
投資に回す
 
〝未来に投資する分を残しておく〟
 
ということですね
 
ちなみに投資についてですが、
 
『金持ち父さん貧乏父さん』
をもし読んだことがおありでしたら覚えているかもしれませんが、
 
支払いを後に回してでも、投資せよ
 
というような一節がありました
 
え?支払いが先でしょう??
 
と思うと思います
 
しかしたとえば貯金の残高が100万円あったとします
支払うべき税金が2~30万あったとします
 
バカ正直に先に税金を納めて、
今後、なにかが変わると思いますか?
 
税金を払うな、ということではありません
 
しかし、私も勉強中ではありますが、
恐らく税金の恩恵を受けている以上に、
私たちは搾取されています
 
同じ額の、
知恵を受け取れる投資があったとしたら、
まずそこに投資するのです
税金には猶予がありますからね
 
イタチごっこ、
自転車操業を繰り返さないための唯一の方法です
 
知恵を得ることによって、
お金を生み出す力がつきます
そうすれば、
現実が変わるでしょう?
 
 
旧約聖書のソロモンは、
 
『すべての財を差し出してでも知恵を得よ』
 
と言っています
 
そもそも、
貯金の残高が100万円の人が、
貯金を惜しんでいる余裕はないのです
 
税金を制定している人のすべてに悪意があるとは
私も思っていません
また、恩恵を受けている以上、
同等か、それ以上に還していく姿勢は大切です
 
ただ、税金を納めきれなくても死にはしないし、
借金取りもやってきません
 
 
(家賃・光熱費など)
を見極めながら引き延ばすという手段もありますが、
あまりオススメはしませんねw
ストレスを溜めてしまっては元も子もありません
 
税金に関しては、
そもそも当たり前に払っているものは本当に
すべて払わなければいけいものなのか、
というリテラシーを高める必要もあります
 
どちらにせよ、
 
〝踏み倒す〟
 
ということではありませんので注意してくださいね
その発想は、天罰がくだりますw
 
 
 
続いて
『福を分け与える』
 
これは、簡単に、
というか身近な例で言うと、
〝お裾分け〟とかそういうことですね
 
いただいた幸福は、皆で分けましょうということです
 
それが福を独占するよりも良い結果を生むことは、
わかりますよね
 
私は比較的田舎に住んでいるのでよく頂きものをしますが、
お裾分けすることで、わらしべ長者のようになっていますw
 
そういうつもりで配っているわけでもありませんが、
(単純に食べきれないのです)
ありがたいことです
 
 
最後に、
『福を植える』
 
どういうことでしょうか
 
このブログを読んで、
私と一緒に成長してくれている皆さんならお気づきかと思います
 
そう、
〝与えるから与えられる〟という真理です
 
幸福を得たければ先に幸福を与える
 
もっと簡単に言えば
あいさつが欲しければ先に挨拶する
 
理解して欲しければ先に理解しようと試みる
 
それはお金だってなんだって、同じことなんですね
 
 
 
では今回はこのへんで
 
以下に読書ノートの残りを貼っておきます
 
 
 
 
 
『昨日と同じ自分でいるな
同じコインは同じ価値しかもたない
もし今の自分が昨年や一昨年の自分と同じなら、
自分が受け取るべき運命も同じはずだ
つまり、新しい自分を造り出さないかぎり、
新しい運命を獲得することはできないということだ
同一の自分は同一の状態を繰り返すだけだ』
 
 
『従うと決めた人の一部分であるかのように
他の人の力を借りて自己を変革しようと思ったときに大切なのは、
それまでの自己を捨ててしまうことだ
それまでの自分の習慣や考え方を大切に守っていたいなら、
他人に頼ることもない
そのまま自分一人でやっていけばいい
そうでないなら、他の人に素直に従って、
自分の考えだとか自分の利益だとかを捨て、
その人の一部分であるかのように行動するべきだ
それは決して恥ずかしいことではなく、むしろ立派なことなのだ』
 
 
『古いものは敵だ
古いものは敵だと思え
古い雑草を抜いてしまわなければ、新しい野菜を育てることはできない
それと同じだ。これまでの自分の心構えや行為を反省して、
新たなものにしようと決意したなら、古い心構えはすべて捨てなければならない』
 
 
『去年の自分は今の自分の敵だ
習慣でも考え方でも、今まで慣れ親しんできたものはなかなか捨てられない
しかし、今までの自分ではない人間になろうとするのなら、
すべて捨て去らなければならない
しかし、そうなると今度は未練が出てきて、捨てられなくなる
実際、変な言い訳などを考え出して、なかなか捨てようとしなくなるものだ
だが、古い歯を抜かずにそのままにしておけば、新しい歯のためにならないし、
荒地も何とかしなければ、豊穣な実りを得ることはできない
去年の自分は今の自分の敵だと思うぐらいに決意しなければ、
何事も成就しない』
 
 
『自分の無限の可能性を信じよ
七、八歳のときには努力しても少ししか持ち上げられなかった重い石も、
その後成長して体が大きくなれば、それも容易に持ち上げられるようになる
七歳や八歳の自分が、その後成長して大きくなった十五歳や十六歳の自分に
及ばないのは明らかだ
それと同じように、まだ勉強が不十分な修学時代の自分が、
その後学問を積み重ねていって立派になった自分に及ばないのも、
これまた明白なことだ
だからこそ、今の自分の状態によって将来の自分の姿を決めつけてはいけない
今はただ、当面のことだけに最善を尽くして学べばよい
自分の将来の可能性を自分で限定してしまう必要はない』
 
 
『自分を大きいと思う者は最も小さい者だ
自分を大きいと思っている者は、最も小さな者だ
自分を強いと思っている者は、最も弱い者だ
自分を賢いと思っている者は、最も愚かな者だ
自分に徳があると思っている者は、最も徳のない者だ
自分の過去と現在のすべてが正しく美しいとして満足する者は、
恐れ慎む境地から堕落して、真の努力から遠ざかっていく者だ
恐れ慎むことを知らずに、どうして修省を知ることができるだろう
また、修省することなくして、どうして努力することができるだろう
われわれは常に慎み敬い恐れ、謙虚に自らを省みなければならない』
 
 
ではまた次回!