でも、リフティングが上手い数学者もかっこいいかもなあ‥
『死んでたまるか、という気持ちはあっても、それを、強い意志の力で結晶させてゆかねば、実際のパワーにはなってゆかないのだ』
『人間が生きてゆくというのは、もっと高い場所にあるものを求めてゆくことではないか。問題にすべきは、その長さや量ではなく質ではないか
どれだけ生きたかではなく、どのように生きたかが、重要なのだ』
『他の生命を、くらって生きる。人間ばかりでなく、およそ、生命というものの維持は、基本的には他の生命の死によってなされている。殺して、喰べる
この当たり前の図式が、日本という社会の中で生活していると、あまりにも、生きてゆくための作業が分業化されすぎていて、見えなくなっている』
『きみがね、捨てたもの、捨てようとしているものの大きさを見れば、きみが手に入れようとしているものの大きさがわかる
人間は、両手に荷物を抱えていたら、もうそれ以上の荷物は持てない。いったん、両手の荷物を捨てなければ、次の荷物は抱えられないからね』
『休息は必要だよ。戦場でさえ、わずかながら休息の時間はある』
『芯の通ったものがある。何ごとかを、すでに決めている男の顔であった
曲がりくねりはしたが、結局、これと決めたもの、自分が、何のために生命をかけるべきかを知っている
そういう覚悟を持った顔だ』
『文化や風俗こそ違うが、基本的な心の構造は、同じ。人のこころは、何人であろうが、同様の反応をする』
『何であれ、待っていても、誰かがそれを与えてくれはしない。欲しいものがあれば、自らの手でそれを掴み取るしかない』
『画家や、芸術家が、その手で天に触れようとするように、物理学者や詩人が、その才能で天に触れようとするように、アルピニストもまた、その肉体をもって天に触れようとしている
誰よりも高い場所。一番孤独な場所』
『休むな。休む時は死ぬ時だ。生きている間は休まない
足が動かなければ手で歩け。手が動かなければ指で、指が動かなければ歯で
歯も駄目になったら、目で歩け。目でにらみながら目で歩け
それでも、駄目なら、本当に本当にどうしようもなくて、動けなくなったら、思え
ありったけのこころでおもえ。想え』
『人間の領域を超えた、神々の領域の中へ』
『人々には権利がある。何を奪われようが、何を失おうが、最後に唯一つ残された権利だ
それは、自分の選んだ生き方に、生命をかけてもいいという権利である。どうするの?』
こんにちは。ときどき全裸で踊りだす、guts koporu takkaです
さあ、この『神々の山嶺』ですが‥とんでもなく、ストイック、そしていまの感じで言うならコミュ障?気味の男が出てまいります
もう壮絶ですね。イチローですらここまでストイックじゃないんじゃねえかっていうくらい、デタラメです
『休むな。休む時は死ぬ時だ。生きている間は休まない
足が動かなければ手で歩け。手が動かなければ指で、指が動かなければ歯で
歯も駄目になったら、目で歩け。目でにらみながら目で歩け
それでも、駄目なら、本当に本当にどうしようもなくて、動けなくなったら、思え
ありったけのこころでおもえ。想え』というように、休息ということばを知らなかったがために、最後死んじゃったりするんですけど‥
シェルパ(現地の、山岳ガイド)も忠告してるんですけどね
『休息は必要だよ。戦場でさえ、わずかながら休息の時間はある』と‥
しかし彼のそんな生き方を、誰も否定できない
というよりも、正直かなり影響されましたね
わたしは人生エンジョイしたい派なので、ちょっと不器用すぎるところには共感できませんでしたが、なんせ、〝歯が駄目なら、目で歩け〟ですからね‥
脱帽しますよ、ほんと
わたしも昔とある人に、「君は想う力がすごく強いよ。離れている人に思念が届くくらい」と言われたことがありますが、さすがに目で歩くって発想はなかったもんなあ
リスペクトですね
不器用過ぎるけども
不器用と言えば、
『きみがね、捨てたもの、捨てようとしているものの大きさを見れば、きみが手に入れようとしているものの大きさがわかる
人間は、両手に荷物を抱えていたら、もうそれ以上の荷物は持てない。いったん、両手の荷物を捨てなければ、次の荷物は抱えられないからね』
というのもちょっと共感できないなあ。なんでメモったんだろう
逆に、戒めるためかなあ、自分を
なにかを捨てなきゃなにかが手に入らないって発想、あまり好きじゃないので
たしかに抱え過ぎはよろしくないかもしれないけれど、〝なにかひとつに絞らなきゃなにも手に入らない〟って考えはある意味思考停止だと思いますけどね
前例がなければ作ればいいだけだし、ないってこともないでしょうよ、複数を追って結果を出している例が
まあ、それはそれぞれのタイプによりけりかもしれませんね。おしつけてくることがなければ、なにも問題ないです
そしてこれ
『画家や、芸術家が、その手で天に触れようとするように、物理学者や詩人が、その才能で天に触れようとするように、アルピニストもまた、その肉体をもって天に触れようとしている
誰よりも高い場所。一番孤独な場所』
それこそ最近広瀬すずちゃんが、『どうして音声さんは、そういう仕事を一生の仕事にしようと思ったんだろう』という感じの裏方さんをバカにするような発言をして炎上していましたが、正直それは誰もが思うことだと思います
大好きななにかが、ある人は
わたしも昔、いろんな人を見て「なんでこんなつまんなそうな仕事をしようと思ったんだろう」とよく思っていましたw
だけど、かなり過程をはしょっちゃいますが、こう思うようになりました
サッカー選手はサッカーで、数学者は数字で、レーサーはスピードで、それぞれの分野で、〝神さまのとなり〟に行きたいと思っているんだ、と
この作品の表現で言えば、〝天に触れる〟というやつですね
サッカーが好きな人に数学のおもしろみはわからないことが多いだろうし、数学者にスピードに取り憑かれた人の気持ちはわからない
ただそれだけのことだと思うし、それは〝それを愛する気持ち〟という根っこのところだけ察することができれば、表面的なことは分かりあえなくてもかまわないと思うんですよね
どんなに自分から見てつまらなそうに見えても、その人がなにを思っていまそれをやっていて、その先になにを見据えているのかはわからない
まあ惰性で動いている人もかなりいるでしょうが、余計なお世話はやめとこうってことですな
広瀬すずちゃんは人前に出るお仕事とはいえ、ちょっとかわいそうでしたね
よってたかって叩いてるやつは、その姿を撮影してモニターチェックさせてみたいですね!
では、このへんで
バイバイ!