ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

比較をやめて、自分を生きる 前編

こんばんは!

 

guts koporu takkaです

 

今日はこれから4時少し前のJRに乗って神戸に行くので、

頑張って起きています

奥さんはお弁当をつくるため、

もっと頑張って起きてくれています

ありがとう!

 

私がネットビジネスを勉強するきっかけになった人や、

いろんな会いたかった人に会うために

神戸は三宮で開催される忘年会に参加するのですが、

いやはやジェットコースターのような毎日です

 

無理せず、

しかし楽しんできたいと思います

 

 

f:id:c-b-a-from466:20151220012654j:plain

 

千田琢哉、人と比べないで生きていけ

 

 

 

 

人の繋がりを断捨離する

 

『ありのままの自分から目を背けたいから、他人の噂話に終止するのだ

 
他人の噂話が好きな人は、比較するのが好きな人だ
なぜ他人の噂話をしたがるかといえば、
ありのままの自分を受容できていないからだ
噂話に終始していれば、ありのままの自分の醜さから目を背けられるからだ
 
自分のコンプレックスを埋め合わせるために、
その場にいない誰かを取り上げ生贄にしてヒソヒソ話をする
少なくともその場では、自分のコンプレックスを忘れたふりができる
 
これまで1万人以上のビジネスパーソンたちと対話してきた結果、
断言できることだが、
人は自分のコンプレックスをテーマにして盛り上がりたがるものだ
容姿にコンプレックスのある人は、
他人の容姿について話題にしたがる傾向が強い
頭脳にコンプレックスがある人は、他人の頭脳について話題にしたがる傾向が強い
お金にコンプレックスがある人は、
他人のお金について話題にしたがる傾向が強い
だから自分から話したがる人は、
その人が何についてコンプレックスを持っているかがわかりやすい
 
これはあなたにも簡単に確認できる方法がある
平日のカフェで騒いでいるオバサン3人組の隣に座って耳を傾けてみよう
たいていはその場にいない誰かの噂話や痴話が多いはずだ
それだけ自分の愛情や性欲が満たされていない証拠なのだ
人は自分に欠けているものについて、とことん盛り上がりたくなる生き物なのだ
 
翻って、あなたはどうだろうか
せっかく奇跡的に授かった命を、
このまま他人の噂話で消耗し続けてもいいのだろうか
どうせなら、噂する側よりされる側のほうがずっといい
比較する傍観者より、比較される主人公として人生を熱く生きよう
 
噂話をする人間ではなく、噂話をされる人間になれ!』
 
 
最近働き始めたホテルの話ですが、
ほんとに‥
 
噂話が好きな人たちが多いですw
 
たしかにナイトのフロント業務なので、
私語で埋めたくなる時間は少なくはありません
私もまずはコミュニケーションを図ろうという目的と、
あとは自分のだらしなさでそこに加わっていることはあるので
そのへんは何も言えません
 
ただ、
お客さんがロビーにいるのに平気で喋っちゃうのはなあ‥
とは思います
あんまりいい感じはしないですよね、
お客さんの側からしたら
 
そして、
上の千田さんの文章にあるように、
なるほど、これがこの人のコンプレックスなんだな、
という感じで誰か(他の従業員)のなにかをネタにして喋る
 
要は、その〝なにか〟がそのままその人のコンプレックスなんですね
 
そして入ったばかりの頃、
子どもの話をしていたら、
ある先輩が
 
「結婚したのはいつですか?」
 
と聞いてきました
 
この時点でなぜそれを聞くのかすぐわかったのですが、
普通に答えると、
もうひとりのかなり歳上の社員の方が、
 
 
と言いました
閉口ですね
 
いまではそれなりにそれぞれの人間性も見えてきて、
問題ないレベルではコミュニケーションしていますが、
そのときは
 
ほんとに嫌だなあ、この人たち‥
 
と思いましたよ
 
 
誰しもいろんな側面があって、
完璧な人なんていないので、
半月経ったいまは別にその人たちが嫌いというわけでもありません
 
でも、好きでもないですけどねw
 
雇われの身でいるうちは人間関係を完全に選ぶことは不可能ですが、
最近facebook上で大きな断捨離をしました
 
四百数十人の人たちと繋がらせていただいていましたが、
ことわりの投稿をしたうえで、
およそ半分に人数を減らしました
 
皆さんひとりひとりは魅力的な人たちでしたが、
正直関係性の薄い人たちが増え過ぎたからです
 
それは意識の分散も招き、
自分がいまなにをしたいのか、
誰を観るべきなのか、
というものを散らかしてしまいます
 
なので、
人数を減らす、
断捨離をしたわけです
 
〝人間関係を自分でデザインしていく〟
 
ためには、
いろんなステップが待っているようですね!

 

 

 

 

投資の額とお金の循環

 

『自分が幸せを感じる環境の構築には、お金と時間をケチらない

 
「成功したければ自己投資しなさい」
こうした巷の教えはもう十分に浸透してきたように思う
では具体的には何に自己投資すればいいかとなれば、
それは本や映画であったり、セミナーや情報商材であったりと、内容はバラバラになる
 
何のことはない、「自己投資しなさい」と強調する先生たちというのは、
自分のサービスを受けて私をお金持ちにしなさいと言っているのだ
 
もちろんここで私は本や映画、セミナーや情報商材を批判したいのではない
現に私は本の著者だし、講演もする
 
自分の内面に投資すればするほど自分の付加価値は向上する傾向にあるから、
それだけ成功しやすいのは誰が考えても納得できるだろう
あなたが自分で納得して自己啓発にたっぷりお金を投資しているのであれば、
ぜひ引き続き成長してもらいたい
 
だが自己投資をかなりしているのにもかかわらず、
思ったような効果が出ていないという人は意外に多い
あるいは、今より自己投資のリターンを大きくしたいと思っている人は多い
 
そんな人にオススメなのが、幸せを感じる環境の構築に投資することだ
「一流の人間は才能によるものか、環境によるものか?」
といった議論がなされるが、
才能は変えられなくても環境はお金と時間をかければ変えられる
私自身もこれまでで一番大きな自己投資といえば、勝ちやすい環境の構築だった
 
コンサル時代は終電を気にしないで仕事に没頭できるようにと、
オフィスから自転車で1分の場所に住んでいた
都会で多少家賃は高かったが、通勤電車で消耗する体力や時間を大幅にカットした結果、
健康的に年収も急上昇したからいい投資だった
 
独立してからは執筆に没頭できるためと目を酷使して視力が低下しないように、
緑が多くて景色のいい高層マンションに書斎を構えた
その結果、今ここにいる
環境への投資は決して安くはないが、リターンは果てしなく大きい
 
才能は変えられなくても、環境は変えられる
勝ちやすい環境づくりに投資しろ!』
 
 
ここで、
いつか整理したいと思っていたので、
私が〝投資〟というものを意識し始めた頃からの
投資額を計算してみましょう
 
まず、
数年間ひたすら本を読み漁ったり、
ここには書けないあれやこれに費やした額
約150万円
 
そこから13ヶ月間で、
仕事や自分の体験や、
なんやかやに費やした額
160万円
 
同様に、
そこから8ヶ月間で、
160万円
 
ネットビジネスを勉強するためのオンラインスクールへの参加費
25万円
 
それに関係する交通費など
15万円
 
超が付く単純計算ですが、
ここまででざっと510万円です
 
 
なぜこういう金額をいま出したのか
 
それは、
 
〝投資と見極めて投じたお金は大きくなって還ってくる〟
 
という法則があり、
これは実体験から保証できます
 
そして、
その〝循環するパイプ〟は太くなっていきます
 
トータルの投資額だけ見たら大きな数字ですが、
最後のほうのオンラインスクールの25万円が
いちどに投じたいちばん大きな投資で、
そこまでは大きくても10万円前後です
 
いきなり100万円投資しろと言われても
いろんな意味で無理ですが、
少しずつ投資をして体験を積み重ねていくことによって、
少しずつ大きな投資ができるようになっていきます
 
それは手持ちが増えるというよりも、
気持ちの面で可能になっていくということです
 
そして、
パイプを広げるためには投じる額を大きくしていく必要があります
 
 
このへんは、
ただ大きなお金を使えばいいということでもないので、
それは少しずつステップを踏んで実感を伴わせながら
学んでいくしかありませんが、
パイプが大きくなれば当然循環していく額も大きくなっていきます
 
私もいま現在大きな実績があるわけでもないので
いまいち説得力に欠けるかもしれませんが、
いま説明したことに関しては
 
1000円の投資が5000円になって還ってくる
 
というレベルから神経をチリチリさせて
実体験してきたので、
間違いないと言えます
 
 
また、最後の〝交通費など〟に関してですが、
今回の神戸行きも含んだものです
 
なぜ交通費?と思うかもしれません
 
それは、
〝自分がこういうふうになりたいと思う人に実際に会いに行く〟
 
のがいちばん得られるものが多いからです
 
私はいま函館に住んでいて、
そうそう神戸とか行けませんw
 
今回はどうしても行ったほうがいいと
私の妖怪アンテナが騒いだのでちょっと頑張って行ってきますが、
基本的にはオンラインスクールを通じて学ばせてもらおうと思っています
 
与えられた条件でやる
 
というのもとても大切なことです
 
ただ、
やっぱり会いに行くのがいちばん濃いんですよ
一次情報が溢れていますからね
それは当然です

 

では、もう少しで移動の時間がやって来ます

肩の力を抜いて、楽しんできますね!

 

 

以下に、読書ノートの残りを貼っておきます

集中力が続く方は、どうぞ

 

 

 

『本当に好きなことをやっている人は、比べない

 
あなたが「英語の勉強をやっています」と言うと、
必ずこんな質問をする人が登場する
TOEIC何点?」
「英検何級?」
 
その人は英語に興味のない人か、
自分が好きなことをやって生きていない人だ
数値を聞き出したら聞き出したで、今度はこんなことを言ってくる
TOEIC990点の人もいるみたいだね」
「私の知人の〇〇さんは、英検1級を持っているのよ」
 
他人を持ち出してまで、何から何まで比べたがるのだ
結果として相手をウンザリさせてしまい、嫌われる
嫌われていることにすら気づかずに、人もお金も去っていく
 
英語の勉強をしていなくても、
自分が好きなことをやって生きている人はこう質問してくる
「最近駅前の英会話教室が賑わっているみたいだね
英語の勉強って、どんなところが面白いの?」
「私はウエイトトレーニングをしているのですが、
英語の勉強ってどこか筋トレに似ている感じがします」
 
本当に自分が好きなことをやって生きている人は、比べるのではなく、
共通点や根っこにある本質を一緒に語りたがるのだ
 
もちろん、ここで私は英語学習やウエイトトレーニングについて語りたいのではない
茶道でも、鉄道模型でも、カラオケでも、小物作りでも、
すべてにおいて本当に好きなことに打ち込んでいる人は、
最初から比べる話をしないということだ
 
翻って、あなたはどうだろうか
本当は好きでもないことを嫌々やっているから、
つい誰かと比べてはいないだろうか
つい比べてしまう自分がいたら、
「好きなことをやっていないな」と省みよう
 
毎日が苦しいのは、何でも比べようとするから
好きなことをすれば、比べなくなる!』
 
 
『つい比べる自分も、許してあげる
 
これまで述べてきた内容と矛盾するようだが、
人と比較するのは本能でもあることは否定できない
人と比較することによって、途中経過では成長できることだってあるし、
何より気になってしまうものは仕方がない
 
だからつい比較してしまったとしても、いちいち罪悪感を持たなくていい
「あら、またやっちゃった」くらいの軽い気持ちで、
つい比べてしまった自分を許してあげることだ
つい比べてしまう自分も、自分なのだということを認めてあげることだ
つい比べてしまう自分も含めて、自分なのだと理解することだ
 
つい比べてしまう自分を許さないと、
こんな困ったことが起こってしまうから要注意だ
「私はあの人と比べ、他人と比較するのが好きなダメ人間だ」と自分を責める
「いかに自分は比較しない人間でいられるか」で、他人と比較してしまうのだ
これでは本末転倒だ
 
基本はできるだけ人と比較しなくてもいいように、淡々と生きていく
その上でつい比較してしまったとしても、そんな自分を許してあげる
この繰り返しでいい
すでにお気づきのように、他人と比較しない生き方をするためには、
まず自分を許してあげることが不可欠なのだ
 
自分を許せない人は、自分が完璧であることを求めてしまう
自分が完璧であることを求める人は、他人にも完璧を求めやすい
 
完璧を求めること、そこには必ず比較が生まれる
「私はあの人に比べて完璧ではない」
「あの人は私に比べて完璧ではない」
 
これでは負のスパイラルに巻き込まれて、無間地獄に突入だ
負のスパイラル人生を断ち切るためには、重く考えずに軽く考えることだ
軽く考えたほうが長続きするし、結果として思いが実現しやすくなる
 
完璧な人間など存在しない
完璧でない自分を許して楽に生きよう!』
 
 
『究極は、あなたの思い込みと市場を一致させることだ
 
仕事の何が辛いかといって、
市場に忠実に基づいたサービスを提供しなければならないことだ
市場に基づいたサービスを提供するのは、当たり前といえば当たり前だ
だが世の中にはそうでない人だっていることも知っておいたほうがいい
世の中の動向など無視して、
自分の思い込みを発信するだけで市場が連動する人もいるのだ
 
偉大な芸術家や作家にそうした人が見られるが、規模やレベルを問わなければ
自分の思い込みと市場を一致させている人や会社は意外に多い
頑固な職人さんやごく一部のマニア向けの商品を扱っている会社では、
市場に媚びず自分が本心からいいと思ったサービスを提供し続けている
それでも信者が一定数いれば、商売は立派に成立するのだ
 
商品単価やサービス内容にもよるが、数十人から数百人の信者がいれば
食べていくには困らないビジネスも展開可能だ
数千人や数万人の信者がいれば、もはやお金持ちの仲間入りも夢ではない
 
たとえば本を出す度に1万人の信者が購入するという作家がいたとしよう
仮に本が1冊売れたら印税が100円とすると、1万冊で100万円になる
1年間で5冊出せば年収500万円で十分に食べていける
1年間で10冊出せば年収1000万円でエリートサラリーマンと互角だ
 
本は単価が安くて大変そうだという人は、情報商材を扱ったと想定してみよう
情報商材を1セット5万円とすれば、100人の信者に売れば500万円の売上になる
年間で2種類の情報商材を開発して販売すれば、それだけで1000万円になる
 
「理論上は確かにそうだけど……」とバカにしてはいけない
現に本の印税や情報商材で数千万円や数億円稼いでいる人が複数実在するのだ
あなたが本の著者になったり情報商材を売ったりする必要はまったくない
今、目の前の仕事であなたの信念に賛同してくれる信者をつくっていけばいい
 
自分の思い込みと市場を一致させた人生は、まさに毎日が天国なのだ
 
市場に合わせることに汲々とするな!
自分の〝信者〟を増やすことを考えろ!』
 
 
『持っている人は、自分から持っているとは言わない
 
本当に幸せな家庭を築いている人は、自分から家庭の話はしない
本当に育ちのいい人は、自分から家柄の話はしない
本当の美人は、自分から容姿の話はしない
これが持てる者の大原則だ
これに対して持たざる者は、
自分が持っていないものに対して熱く語りたがる人が多い
 
家庭の話をやたらしたがる人は、家庭が上手くいっていない証拠だ
もしくは仕事や社会的地位では負けるから、
なかなか実態のわかりにくい家庭という土俵に持ち込んで
優位に立ちたがるいやらしい人もいる
 
土地や株で一攫千金を手にした筋金入りの成金たちのご子息・ご令嬢の中には、
かなりの割合でいかに自分に力があるのかを誇示したがる人が多かった
ところがその実態としては、お客様はおろか従業員にさえ尊敬されておらず、
「本当に運だけの成金」「周囲にもっとお裾分けして当然」と見下されていた
ご子息もご令嬢も、本当は自分に実力なんてないことは百も承知で、
その自信のなさからつい虚勢を張ってしまうのだが、
周囲にそれがばれていたのだ
 
女性で美貌を獲得できなかった人は、
物心ついてから自分は美人ではないことを薄々気づき始めている
周囲の容姿に恵まれた子が
「綺麗ね」「また美人になったね」と褒められるのに、
自分は「賢そうな子ね」「また大きくなったね」としか言われない
こうした周囲からの悪気ない言葉のシャワーは、女性の人格を形成していく
周囲が美人を見る目と自分を見る目が違うことにも気づき、性格も歪みやすい
女性なら誰でも美しいと言われたい本能があるから、
つい厚化粧したり奇抜なファッションをしたりして、自分の容姿を強調したがる
会話も容姿の話題が中心になり、自分より容姿に力を入れない同性を見下す
 
本気で持たざる者から持てる者へと脱皮したいなら、
コンプレックスを口から発散させないで、
粛々と成すべきことを成して成長し続けることだ
 
熱く語るのは持っていない証
言葉を飲み込んで行動しよう!』
 
 
『「あそこの家は成金」と批判しているうちに、貧乏のまま終わってしまう
 
成金は昔から嫉妬の対象で、よく批判される
人はもともと自分と同じレベルだと思っていた相手が、
今いる群れから抜け出して出世するのを心から喜べない生き物だ
心の底では大なり小なり「この野郎!」と思っている
唯一、心から祝福できるのは先に成功した人間だけだ
 
一代で財を成した人を成金と呼ぶとすれば、現在の成功者の大半は成金になるわけだ
成金を批判するということは、成功者を批判するということだ
「成金」という言葉の響きはこれまた陰口にはもってこいで、
口にしやすいのはよくわかるが、
自分より目上の相手を批判している自覚は持っておいたほうがいいだろう
責任を問われない凡人同士の陰口では「成金」で通じても、
一歩外に出てみると、現実社会では成金は正真正銘の成功者である
 
「あそこの家は成金」と批判していると、批判する表情が顔に刻まれて醜くなる
いつもヒソヒソ話している人は、いかにもヒソヒソ話しそうな表情をしている
嫉妬深い人は、いかにも嫉妬深そうな表情をしている
 
表情というのはとても正直で、
その人が普段から最も頻繁にする表情のシワが刻み込まれているのだ
 
だから職業によって顔がどこか似ているというのは本当だ
医者は、いかにも医者らしい顔をしている
法律家は、いかにも法律家らしい顔をしている
チンピラは、いかにもチンピラらしい顔をしている
どんな顔になりたいのかは、あなたが普段からどんな表情の筋トレをしているかで決まるのだ
 
艶があって豊かそうな顔をした人には、ますます人とお金が集まってくる
カサカサして根性悪そうな顔をした人からは、ますます人とお金が去っていく
シンプルだけど、それだけの話なのだ
 
批判と嫉妬には要注意
人とお金が去っていく表情の筋トレだ!』
 
 
『政治・宗教・野球・学歴・年収の話は、自分からしない
 
人間関係が苦手そうな人の会話はとてもわかりやすい
初対面の相手にもすぐに比較の話題を持ち込みたがるからだ
 
政治の話題は、人それぞれの考えが違うからしないことだ
宗教の話題は、人それぞれの信条が違うからしないことだ
野球の話題は、人それぞれ贔屓にしているチームが違うからしないことだ
学歴の話題は、人それぞれ序列が違うからしないことだ
年収の話題は、露骨に人間の価値に触れるからしないことだ
 
政治・宗教・野球・学歴・年収の話題は、タブーだ
私も政治・宗教・野球・学歴・年収について本を書くこともあるし、
ブログで触れることもあるが、それは仕事で
「千田さんはこれについてどう考えますか?」と依頼された場合のみだ
 
一時期お金や年収の本を立て続けに出したのも、ブログ上で頻繁に綴ったのも、
そうした質問や仕事の依頼を受けたからだ
出版社はそれだけ読者がタブーについて知りたがっていると分析した証拠だし、
現に私のもとに届くメールもタブーに関する質問が多い
 
タブーというのは国によって異なるが、
いずれにせよその国の国民が興味津々なことばかりだ
興味津々でとても大切なことだからわざわざタブーになっているのであって、
どうでもいいことならタブーになんてならない
 
その証拠にタブーについて論じると、そこには人もお金も集まってくる
テレビでタブーを論じれば視聴率が跳ね上がり、本でタブーを論じれば売上が上がる
 
テレビや本といった受け手と間接的な伝達手法でタブーを論じるならまだしも、
目の前にいる受け手と直接タブーについて熱く論じるのは危険だ
最悪の場合は、世界中で起こっているような殺人沙汰に発展しかねない
自分から比べる話題をふらないだけで、会話は和やかになるものだ
 
タブーの話題で盛り上がれるのは一瞬だけ
自ら進んで地雷を踏むな!』
 
 
ではまた次回、
お会いしましょう!