ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

当たり前のように、ネクタイを締めていませんか?

こんばんは!

 

ホテルの夜勤が終わり、

(午前中の話ですけどね)

 

これからの2連休にウキウキの男、

 

guts koporu takkaがやってまいりました

 

 

もちろん、ちゃんと勉強もしてきましたよ

それが約束ですからね

 

 

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堀江貴文、ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく

 

 

 

 

新しいあなたの、誕生前夜

 

『僕はマイナスになったわけではなく、人生にマイナスなんて存在しないのだ

失敗しても、たとえすべてを失っても、再びゼロというスタートラインに戻るだけ
メディアを騒がせた「ホリエモン」から、ひとりの「堀江貴文」に戻るだけだ
むしろ、ここからのスタートアップが楽しみでさえある
ゼロになることは、みんなが思っているほど怖いものではない
失敗して失うものなんて、たかが知れている
なによりも危険なのは、失うことを怖れるあまり、
一歩も前に踏み出せなくなることだ
これは経験者として、強く訴えておきたい』
 
 
ええ、大丈夫です
 
失敗しても、大丈夫ですよ
 
 
ここで大切なことを話しておきましょう
 
すべてを失ったような絶望に打ちひしがれたとき
 
それは、
新しい扉が開く一歩前の状態です
 
私も、本気で死を思い、
 
片腕を失ってもいいからこの絶望から逃げ出したい、
 
というときがありました
 
しかし、
それは新しい扉が開く前の儀式のようなものでした
 
 
実際、
どんなにことが順調に進んでいて、
みるみる視界が拓けていても、
急に心が深い闇に引っ張りこまれることがあります
 
昨日まで絶好調だったのに、突然
 
「生きてるってなんだろう‥」
 
みたいなw
 
 
でもそれは、次のステージの一歩前に来た状態ですから、
踏ん張ってみてください
 
いや、踏ん張ると言うか、
ただ黙ってやり過ごしてもいいです
あえてなんにもせずに
 
とにかく、
塞ぎ込んでしまわないことが大切です
 
もしそういう状態になったら、
騙されたと思って実践してみてください
 
インディアンとguts koporu takkaは、
嘘をつきません
 
顕在意識(頭で考えてること)というのは
過去のパターンを変えることを嫌うものなので、
抵抗なのかもしれませんね
 
俺はいままで慣れたふかふかのベッドで寝たいんだ!
 
そっちの方が居心地がいいなんて、騙されないぞ!
 
という感じで
 
 
でも考えてみてください
 
より遠くへ飛ぶためには、長い助走が必要です
 
より高く飛ぶためには、強いバネが、
深く沈み込むことが必要です
 
そのための反動なのかもしれないですよね!
 
 
 
 
 
 
情報の入手先を選択する
 
『僕にとっての情報とは、誰かが用意してくれるものではなく、
自らつかみ取るものなのだ』
 
 
これはどういう意味でしょうか
 
そう、情報とは、
与えられるものではなく、
自ら選ぶものなのです
 
テレビを見たり新聞を読むことは、
たとえチャンネルを選んだり、
どの新聞を読むかを選んでも、
選択とは言い切れません
 
テレビと新聞という枠を抜けていないからです
 
 
と言うより、
洗脳のためのメディアと言い切ってしまったほうが早いかもしれません
 
 
あなたの欲しい情報は、
あなたが選ぶのです
 
自分がなにに洗脳されたいのかを、選ぶのです
 
簡単に言えば、
あなたが
「この人はいい!」
と思った人がなにかを発信していないか、
つぶさに確認してください
 
ブログ
 
メルマガ
 
SNS
 
 
なんだってあります
 
そういう情報を取ってくるだけで、
テレビや新聞を読んでる時間なんてないはずです
 
あなたをブルーな気持ちにさせるメディアではなく、
希望を感じさせるメディアを選ぶのです
 
そう長い時間を要せず、
あなたの見る世界はまったく別なものに変わっていることでしょう
 
 
 
 
 
お金からの解放とは?
 
『明記されている時給は900円スタート
2500円の時給をもらっていた塾講師時代とは比較にならない金額だ
でも、これはお金の問題じゃない
やるしかないと自分に言い聞かせた』
 
 
私はこの街にやってきたとき、
まず日雇いの肉体労働からスタートしました
 
単純に、いままで自分がやってきた分野の仕事をすれば、
もっと稼げるのはわかっていました
 
でも、
情報誌でその仕事を見つけた瞬間、
これしかない!と思いました
冗談ではなく、光って見えたのです
 
しんどいこともありました
 
挫折もありました
 
でも子どもができて退職するまでの丸一年、
そこで得られたことはとんでもなく大きいです
 
そういうことが、あるのです
 
お金は大事
 
だからこそ、お金から解放されるために、
ときにはそういう選択をしてみてください
 
たくさん稼げばお金から解放されるわけではないのです
 
お金に関係なく〝選べる〟
 
それが本当の自由です
 
 
と言うより、
逆にそれがわかっていなければ、
ある一定の水準以上には、
稼げるようになっていかないんじゃないかな、と思います
 
私はいま現在めちゃ稼いでるわけでもないので、
実感というより予感ですが‥
 
私の予感は、当たるんですよ?
 
 
 
と書いていて、
次の引用を探していたらホリエモンがこんなことを言ってました
 
『お金を「もらう」だけの仕事を、お金を「稼ぐ」仕事に変えていこう
儲けるために働くのではなく、お金から自由になるために働こう
僕は20代の早い段階で、お金から自由になることができた
それはたくさんのお金を得たからではない
仕事に対する意識が変わり、働き方が変わったから、お金から自由になれたのだ』
 
ほらね、当たるでしょ?w
 
こういういろんなことを知らないうちから、
お金を得たいならきっとお金に縛られていたらダメだ、
という直感はずっとありました
 
なんだかよくわからないけど、
これは間違ってない
突き進んでやろう
 
その感覚、すごく大事です
 
経験上、そのトンネルの先には、
必ず光が射しています
 
 
 
 
 
では今回はこのへんで失礼します
 
以下に読書ノートの残りを添付しますね
 
 
 
『勉強でも仕事でも、あるいはコンピュータのプログラミングでもそうだが、
歯を食いしばって努力したところで大した成果は得られない
努力するのではなく、その作業に「ハマる」こと
なにもかも忘れるくらいに没頭すること
それさえできれば、英単語の丸暗記だって楽しくなってくる
これは中学時代にコンピュータのシステム移植の仕事を通じて学んだ結論だ
あの仕事はたしかに大変だった。ギリギリだった
でも、その大変さも含めてすべてが最高に楽しかった
何事も得意だとか苦手だとかいう先入観で物事を判断せず、
目の前の作業にハマッてしまえばいいのである』
 
 
『仕事でも人生でも、もちろん異性関係でも、
キョドってしまうのは、性格の問題ではない
ましてや、ルックスなど関係ないし、学歴や収入、社会的な地位とも関係ない
これはひとえに「経験」の問題なのである
そして経験とは、時間が与えてくれるものではない
だらだらと無駄な時間を過ごしたところで、なんの経験も得られない
なにかを待つのではなく、自らが小さな勇気を振り絞り、
自らの意思で一歩前に踏み出すこと
経験とは、経過した時間ではなく、
自らが足を踏み出した歩数によってカウントされていくのである』
 
 
『あなたはいま、働くことを「なにかを我慢すること」だと思っていないだろうか?
そして給料のことを、「我慢と引き替えに受け取る対価」だと思っていないだろうか?
もしそうだとしたら、人生はねずみ色だ
我慢に我慢を重ね、耐え忍んだ対価としてお金を受け取っているのだから
仕事を嫌いになり、お金を色めがねで見てしまうのも当然だろう
人生の中で、仕事はもっとも多くの時間を投じるもののひとつだ
そこを我慢の時間にしてしまうのは、どう考えても間違っている』
 
 
『会社は潰れても人は潰れない
(中略)
起業することは簡単でも、会社を維持発展させていくことはむずかしい
倒産のリスクを考え、躊躇してしまう人がいても不思議ではない
しかし、これについても僕は「リスクなどない!」と断言することができる
事業がうまくいかず、会社が倒産する可能性は誰にだってある
これは、今後新しいチャレンジをしていく僕にも十分ありうる話だ
しかし、たとえわずかな期間でも会社経営を経験しておくと、
その人のビジネススキルは飛躍的に向上する
会社員を何年続けても到底身につかないような、仕事の本質を見抜く力だ
(中略)
経営者になると、会社まわりのお金の流れがすべて把握できるようになる
(中略)
これは決定的な違いである
だから、みんな自信を持っていい
仮に自分の会社が倒産したところで、あなたという人間は潰れない
経営を通じて手に入れたビジネススキルは確実に「次」へと生かされるのだ
(中略)
いまの会社に不満があるのなら、行きたい就職・転職先が見当たらないのなら、
我慢を選ばず起業を選ぼう
お金を「もらう」だけの仕事から、
自ら「稼ぐ」仕事に変えていくのだ』
 
 
『通帳ではなく自分に貯金する
(中略)
「どうして貯金しなくちゃいけないんだろう?」
「貯金することにどんな意味があるんだろう?」
小学生のときに抱いたこの思いは、いまもまったく変わらない
貯金することの正当性について、親に聞いても、学校の先生に聞いても、
納得のいく答えは返ってこなかった
「いざというときのため」とか「手元に置いてたら無駄遣いしてしまう」とか、
意味不明の理屈でかわされていた
おそらく彼らも、なぜ貯金するべきなのか、よくわかっていなかったのだろう
僕がそうだったように、僕らの親世代もまた、
「貯金は美徳」という価値観の中で育てられてきたのだ
では、日本にはもともと貯金を美徳とするような文化があったのか?
これは、まったく違う
(中略)
こうして集められた国民の貯金が、
国債の償還や軍事産業への融資に充てられていたことは言うまでもない
日本人の「貯金は美徳」という価値観は、戦時下の政府によってつくられたものなのだ
まずは客観的事実のひとつとして、その点を理解しておこう
それでもなお、「貯金がないと不安だ」と思う人は多い
なぜ不安なのか?
僕の答えはひとつ。自分に自信がないからだ
自信がないから将来の自分に不安になる
その不安を、貯金で穴埋めしようとする
根底にあるのは、カネさえあればどうにかなる、というお金への盲信だ
もしも自分に自信を持っていたら、手元のお金は広い意味での「投資」に回すだろう
たとえば毎月3万円を貯金する人と、毎月3万円をなんらかの自己投資に充てている人と、
どちらの将来に可能性を感じるかといえば後者だ
貯金という行為は、頭を使う必要がない。定期預金のように自動化することも可能だ
一方、投資となれば頭を使わざるをえない
株式投資だろうとスキルアップの自己投資だろうと、
目標や戦略があってこそ成立するものだ
(中略)
貯金に励み、わが子や教え子たちにまで貯金を推奨する人たちは、
面倒なことを考えたくないだけなのである
お金のことも、将来のことも、自分自身の生き方も、なにひとつ真剣に考えたくない
自分を信じられず、他人を信じられず、お金だけしか信じるものがなく、
「いざというときのため」に貯金をし、いざとなったらカネで解決しようとしている
そんな態度が、ほんとうに美徳と呼べるのだろうか?』
 
 
『収監される直前に田原総一朗さんと話をしたとき、
こんなふうに言われたことがある
「堀江さん、僕はあなたが2年半近くも社会から隔絶されることは、
 日本という国にとって大きな損失だと思っている
 あなたはこの国を牛耳る年寄りたちから嫌われ、怖れられ、ついには逮捕され、
 実刑判決まで食らってしまった。なぜか?
 それは堀江さん、あなたがネクタイを締めなかったからだ
 この国ではネクタイがすべてなんだ
 ちゃんとネクタイを締めて、年寄りにゴマをすっていれば、
 球団買収だって成功しただろうし、フジテレビや選挙もうまくいったかもしれない
 わかっているよね?」
(中略)
「もちろん逮捕されることも、なかったわけだ。だから聞きたい
 堀江さん、どうしてネクタイ締めなかったの?」
(中略)
これは僕なりに解釈する「コモンセンス」と「コモンロー」の違いだ
たとえば、経団連の参加条項として
「会合やパーティではタキシードを着用すること」と書かれていたとしよう
それだったら、僕はなんの問題もなくタキシードを着る
明文化されたルール(コモンロー)に従うことに抵抗はない
一方、
「仕事ではスーツを着ること」や「偉い人と会うときにはネクタイを締めること」といった話は、
どこにも明文化されたものではない
ただの慣習であり、空気であり、いい加減な常識(コモンセンス)だ
スーツやネクタイが好きなら別だが、嫌いだったら従う合理的な理由はない
日本人は古くから自分たちを同じ民族、同じ日本人だと思ってきた
だから明治になるまで名文法が発達せず、
暗黙の了解(コモンセンス)によって村社会を運営してきた歴史がある
僕にしてみれば、スーツやネクタイも暗黙の了解でしかない
その証拠に、環境大臣が「クールビズ」を呼びかけた途端、
みんな夏のネクタイをしなくなった
これはビジネスマンが温暖化問題を意識するようになったからではなく、
ただ世間の空気が変わったからである
僕は、政治家やリーダーの役割とは、
まさにこの「空気」を変えていくことではないかと思っている
不況という名の空気。閉塞感という名の空気
そして、根深く蔓延する「できっこない」という空気』
 
 
『考えてみればおかしなものだ
塀の中に閉じ込められ、自由を奪われた僕が、
塀の外で自由を謳歌しているはずの一般読者から、仕事や人生の相談を受けていたのだから
そして思う
「みんな塀の中にいるわけでもないのに、どうしてそんな不自由を選ぶんだ?」
刑務所生活で得た気づき、
それは「自由とは、心の問題なのだ」ということである
塀の中にいても、僕は自由だった
外に出ることはもちろん、女の子と遊ぶことも、お酒を飲むことも、
消灯時間を選ぶことさえできなかったが、僕の頭の中、
つまり思考にまでは誰も手を出すことはできなかった
(中略)
あなたはいま、自由を実感できているだろうか
得体の知れない息苦しさに悩まされていないだろうか
自分にはなにもできない、どうせ自分はこんなもんだ、この年齢ではもう遅い
もしもそんな不自由さを感じているとしたら、それは時代や環境のせいではなく、
ただ思考が停止しているだけである』
 
 
『自分の本業なんて、決める必要はない
宇宙やロケットが好きな僕がいて、インターネットが好きな僕がいて、
グルメ好きな僕がいて、メディアに関心の高い僕がいる
どれもが「堀江貴文」なのだし、自分をひとつの枠に押し込めなくてもいいのだ』
 
 
『インターネットの普及によって、アイデアの価値はどんどん均一化されてきている
イデアは頭の中からひねり出す時代から、インターネットで検索し、
組み合わせる時代になっているのだ
そこで勝負を分けるのが、スピードと実行力である
手持ちのアイデアを、いかに具体的な行動に落とし込めるか
そのために一歩を踏み出す勇気を持ち合わせているか
口先だけのアイデアを披瀝しても、なんら評価の対象にはならない
イデアを実行に移し、誰よりも早くかたちにできた人だけが評価されるのだ
飽きっぽい人の持つ「惚れる力」は、その突破口になる
無節操だと批判されても、行き当たりばったりだと笑われても、
勝手に言わせておけばいい
誰よりも早く動き出し、かたちにしてしまおう』
 
 
『発作的に襲ってくる死への恐怖を克服するため、
僕は再生医療や生命工学(バイオテクノロジー)に関する書物を読み漁り、考え尽くした
その結果、いまでは将来的に不老不死も実現するだろうという結論に行き着いている
完全な「不老」や「不死」はむずかしくとも、
限りなく不死に近いところまで寿命を延ばすことはできる
iPS細胞(人工多能性幹細胞)の活用はもちろん、究極的には意識と肉体を切り離し、
自分の意識をロボットに転送できる可能性だってある
おそらく不老不死なんて、多くの人にとってはSFやオカルトまがいの話だろう
しかし、たくさんの情報を取りまくっていけば、
「近い将来に必ず起こる現象」が見えるようになる
いまはSFとしか思えないような近未来の出来事も、見えるようになる
これは想像力の産物ではない。ひとえに情報収集能力と分析能力の産物だ
(中略)
情報を得ることは、未来を知ることである』
 
 
『一緒にワクワクするような未来をつくっていきたいのである
仕事もお金も喜びも、それを独り占めしたところで心は満たされない
みんなとシェアするからこそ、ほんとうの幸せを実感できるのだ』
 
 
ではまた次回、お会いしましょう!

ワクチン、予防接種に関する学習レポート その1

こんにちは!

 

guts koporu takkaです

 

guts koporu takkaがやってきました

 

今日は少ない時間のなか、

どうしてもひとつだけ記事を上げてから出勤したいので、

少しテンション高めに、

ハイスピードで乗り切っていこうと思います

 

皆さん、

guts koporu takkaがやってきましたよ!

 

 

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母里啓子、もうワクチンはやめなさい 予防接種を打つ前に知っておきたい33の真実

 

 

予防接種に関する勉強、

まだ1冊目ですが、情報量が多いので小出しにいこうと思います

 

この本は予防接種否定派の本で、

本当は肯定派のものも読んで比較できるように出したいのですが、

なんせ情報量が多いので読んだ順番に出していきます

 

あ、比較と言っても断っておきますが、

私は否定派よりです

それは、子どもに大量の接種案内が来たときに直感で

 

「これはヤバい」

 

と感じたからです

 

なので気持ち的には偏りがあるでしょう

 

しかし、それを偏りと言うのかという疑問はあります

 

自分が信じたものを追っていく

 

冷静な視点を失わないために肯定派の意見も取り入れていきますが、

本を読んでいて

 

「あ、この人はなんかイヤだな」

 

「これはもうこれ以上読みたくないな」

 

と思ったら読むのをやめますよ

 

それはどんな本でも一緒です

 

読みたくないのに無理して読まない

 

それはワガママや怠慢ではなくて、

大切なことなんじゃないかな、と思います

 

 

そして今回出す情報(引用文)は、

 

(中略)

 

としているところが多いです

 

これはその部分がなくても、

むしろないほうが引用としては伝わりやすいかと思ったのと、

 

あくまで基本は〝読書ノート〟なので、

自分が後で読み返してもわかりやすいように書いています

 

もし中略になにか作為を感じるのであれば、

中略した箇所も隠していませんし、

引用した本も隠していませんので、

ご自分の目で確認してみることをオススメ致します

 

と言うより、もし気になったら読んでみるのが一番良いですよね、

もちろん

 

 

また、ここで著者の方と、

対談でお相手をされている近藤先生の略歴を掲載しておきます

 

母里啓子
医学博士。元・国立公衆衛生院(現・国立保健医療科学院)疫学部感染症室長
1934年東京都生まれ。千葉大学医学部卒業後、
伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)でウイルス学を修め、愛知県がんセンター研究所に
勤務
在職中に、カナダのトロント大学オンタリオがん研究所に2年間留学
帰国後、東京都がん検診センター検査課長、横浜市衛生研究所細菌課長を経て、
国立公衆衛生院(現・国立保険医療科学院)疫学部感染症室長を務める
のち、横浜市の瀬谷、戸塚、旭の保健所所長、介護老人保健施設「やよい台仁」の
施設長を務め退職
 
 
1948年生まれ。慶應義塾大学医学部卒業後、同医学部放射線科入局
米国留学後、1983年より30年間にわたり慶應義塾大学医学部放射線科講師として勤務
2013年には「近藤誠がん研究所・セカンドオピニオン外来」を開設
乳房温存療法のパイオニアとして知られ、抗がん剤を使わない、苦痛等がない限り
治療をしないなど、患者本位のがん治療についての意見を発表し続けている
 
 
 
〝権威が発信する情報〟を鵜呑みにするのは危険といつも言っているので、
ここで急に肩書きなんかを載せるのはどうかな、考えましたが、
やはりテーマがテーマなので、
私自身にいま本を読んだ以上の知識はありませんし、
著者のプロフィールを載せておくのがいちばん説得力と安心感があるかな、
と思います
 
一番大切なのは肩書きではなく、
その人がどれだけの誠意を持ってその本を書いているのか
情報を開示しているのか
 
それが伝わって来るのかどうか、なんですけどね
 
では今回はこれ以上あまり私の解説を挟まず(できないしw)、
 
読書ノートとしてまとめた引用文を掲載していくことにします
 
 
 
 
『科学は進歩し、医学にもいろいろ新しい発見があるのに、
ワクチンを取り巻く世の中の情勢はどんどん悪くなっています
私は、ウイルスの研究者として、また公衆衛生に関わる国の職員として勤めながら、
予防接種被害者の方とも関わってきました
さまざまな立場からワクチンを見続け55年になります
今のワクチン行政、研究者や医師たちの考え方、ワクチンをめぐる報道、
そのすべて……今が最悪
今、一番怒っています
 
ワクチンというものは、人から人に伝染し、死に関わる病、
重篤な障害を残す病気に対して、予防という手段として開発されてきたものです
ワクチンは強引に体の中に異物を入れて抗体を作るもので、
自然の感染とはまったく異なるメカニズムのものです
 
それが今は、自然に治る軽い病気、めったにかかることのない病気にまで
次々に新しいワクチンが作られています
そして、社会全体に病気が怖いという脅しとともに宣伝され、
公費を使って奨められています
そして……ワクチンが増えるに従い、ワクチンの副作用も増え続けています
ところが副作用のことはほとんど報道されていません
 
現在、生まれたばかりの0歳の赤ちゃんが1歳になるまでに、
10回も予防接種を打たれていることをご存じですか
かつてBCGとDTP(ジフテリア・百日咳・破傷風)ワクチン程度だった幼児の予防接種は、
乳児に移行し、ここ数年で急激に増えているのです
とくに、ヒブワクチンと小児用肺炎球菌ワクチンという2つのワクチンが導入されてからは、
接種回数が増えたために予防接種スケジュールが過密になりました
そして、「お母さんが楽なように」と、安全性の検証もされないまま、
何本ものワクチンを同じ日に打つ、同時接種が行われるようになったのです
 
2011年3月、ヒブワクチンと肺炎球菌ワクチンの同時摂取後に
亡くなった乳幼児のことが次々にニュースになりました
その結果、両ワクチンの接種は一時見合わせとなったのです
しかし、その後の厚生労働省(以下、厚労省)の審議会により、これらの死亡例は、
予防接種とは無関係とされました
海外でもヒブワクチン、肺炎球菌ワクチン接種後の死亡で因果関係がわからない例が
一定程度はあるということなどを理由に
 
ワクチン接種後に亡くなる例が一定程度あるなら、
それはあきらかにワクチンによる被害でしょう
しかし厚労省は、予防接種との因果関係を認めないまま、
両ワクチンをたった1ヵ月もたたないうちに接種再開しました
死亡した赤ちゃんのニュースなどなかったかのように、その後2013年から定期接種となり、
両ワクチンはすべての0歳児に推奨されるものとなったのです
 
接種を控える人が多かったのも、ほんのわずかな期間のことでした
もう、同時接種での死亡が話題になったことも忘れられているかのようです
そして、今では、赤ちゃんの接種後の副作用がニュースになることはありません
 
けれど、ニュースにならないだけです
今も、予防接種後に赤ちゃんが次々に亡くなっています
実際には、騒ぎにならないのがおかしいほど、
ワクチン接種後に亡くなる赤ちゃんが増えているのです
厚労省の副反応検討部会による情報を集計すると、ヒブワクチン、肺炎球菌ワクチンの
発売後の2011年から2014年の5月に至るまで、両ワクチン接種後に死亡した子どもは、
38名もいるのです
 
厚労省は隠してはいません。けれど、マスコミはこのことを話題にしません
ワクチン接種後の死亡ですから、ワクチン以外の理由で亡くなっていることもあるかもしれない
しかし、見過ごせないことは、その死亡時の様子の多くは、
ほとんどが突然死だということです
 
突然死とは、一般的には、医療と関係なく死亡した場合のことをいいます
これらの死亡例では、ヒブワクチン、肺炎球菌ワクチンのみではなく、
DPTや四種混合ワクチン、ロタウイルスワクチンなど、
多種類の他のワクチンが同時に打たれている場合もあります
一度にたくさんのワクチンを接種してしまっているために、
どのワクチンが影響を及ぼしているかなど、つきとめられるわけがありません
予防接種に連れて行かなければよかった、連れて行かなければ突然死はなかったのではないか
親のつらい気持ちばかりが残るのです
 
(中略)
今、ワクチンのある病気は、すべて防がなければならない、というような宣伝がなされ、
さかんに啓蒙活動が行われています
日本は遅れている、世界並みにならなければいけないと、
専門家とかいう人たちが警鐘を鳴らし、医療の現場では病気を防ぐためと称して、
経営のために医師たちが接種を奨めています
そこでは誰も、ワクチンには必ず副作用があること、ワクチンの効果は限定的であること、
本当は病気を予防できる効果的なワクチンはごくわずかであること、
ワクチンを打たなくても病気にかかって確実な抗体を作れること、
そうしたことを語ろうとしません
ワクチンに期待される効果部分だけをアピールし、
ワクチンの限界やワクチンの害からは目をそらしているのです
子どもの健康のため、世界中の人を病気から守るためと称しながら、
ワクチン産業育成という側面が見てとれます
 
(中略)
あるお母さんが言っていました
自分の母子手帳を開いて、予防接種の欄を開いてみたら、
予防接種は2歳からだった、と
今はどうして0歳児にこんなに打たなければならないのだろう?と
病気が増えているの?と
何も増えていません、母子手帳に書いてある予防接種は、打たなければいけないものではない、
必要なものはごくわずかですよ、と答えました
 
本当はもう、今の日本にはワクチンはいらないと言ってしまいたかったのです
私とて科学者のはしくれ、もともとはワクチンを作ってきた立場です
ワクチン自体を否定したくはありません
けれど、これだけワクチン産業が世界的戦略となり、
そこに人々がからめとられていく様子を見ていると、もうワクチンはやめなさい、
と言いたくなるのです
 
(中略)
次から次へと出てくるワクチンを一方的に奨められることに、
「おかしいな?」と気づき始めた人たちがいます
(中略)
希望はあります
こうした若いお母さんたちのために、私も言い続けます
いらないワクチンは、いらないのです』
 
 
 
厚労省が「積極的推奨はしない」ワクチンは、絶対に打ってはいけない
(中略)
厚労省は推奨していない、それでも中止ではなく医師やメーカーは
奨めているという状況のため、打つべきなのか、打たないほうがいいのか、
迷う人がたくさん出ました
 
厚労省の「積極的推奨はしない」、その真意は、
副作用があるから表だって推奨はできないものの、
ワクチンの在庫をたっぷり持っているメーカーや医師の意向もあるため、
「受けたい人がいるから」という理由で、中止せずにおくということなのです
厚労省が「積極的推奨はしない」とした時点で絶対に打ってはいけないワクチンなのです』
 
 
 
『「効果を期待できる」は「期待してもいいが効果は不明」ということ
(中略)
ワクチンとは、ある病気の病原体に対して免疫抗体を作って、その病気を防ぐもの
鍵と鍵穴の関係です
鍵と鍵穴がぴったり照合した関係だからこそ、ワクチンは意味があるものなのです
近代西洋医学は、この鍵と鍵穴の関係を解き明かすことで、
数々のワクチンを開発してきました
しかし子宮頸がんワクチンは鍵と鍵穴の関係が完全に無視されています
(中略)
公的な子宮頸がんワクチンの説明文を読むと、
「予防する効果を期待されています」としか書かれていません
「効果を期待」は、効果があるかどうかまったくデータがとれていないワクチンについて
しばしば使われる言葉です
つまり、効果を期待してもいいけれど効果は不明ということで、そんなワクチンは、
壮大なる実験に参加するつもりでもなければ打つべきではありません
子宮頸がんは検診で防ぐ病気です
ワクチンが必要な病気ではありません』
 
 
 
『政治家や学校の奨励は真に受けない
(中略)
子宮頸がんワクチンは、選挙活動や政治家のアピールを通じて、
科学的データも臨床的データも何ひとつ検証されないまま、
地元の政治家主導で宣伝され、自治体で推奨されていったのです
自治体の動きと連動していたのは学校でした
学校で集団接種を行ったところさえありました
学校を通じて子宮頸がんワクチンが奨励されていったために、ますますおかしな事態となりました
 
ヒトパピローマウイルスは、おもに性交渉によって男性から感染するとされ、
すでに性交渉の経験があれば子宮頸がんワクチンは無効とされています
そのため、学校の現場では、接種を拒否すれば性交経験者と思われてしまう、
誤解をされてしまうから拒否はできない、というとても嫌な雰囲気が出てきたのです
 
当時、自治体や学校で、子宮頸がんワクチンをさかんに推奨した人たちは、
どういうワクチンかわかっていたのでしょうか?
理解した上で奨めていたとは、とても思えません』
 
 
 
『人を不安にさせるCMは信用してはならない
(中略)
日本中の女性を不安にした、子宮頸がんのテレビCM
(中略)
危険だ、危険だ、怖い、怖い、そう繰り返し紹介される病気があったら、
十分に気をつけることです
その病気を予防するワクチンや薬が近く売り出されるのかもしれません
命と健康を脅されれば、人はお金を使ってしまう
なんでもしてしまうのです
病気になった人が病気の怖さを訴えれば、なんとしてでも自分は病気を防ぎたいと思う
立派な経歴の先生の論文を引用して宣伝されれば、疑いもなく信じこんでしまう
そうした心理につけこんだ薬剤やワクチンの宣伝が、なんの規制もされないまま
テレビや新聞でたれ流しになっているのです
 
先ごろ、外資の製薬会社の社員が自社の降圧剤を宣伝するために、論文のデータを
自社に有利なように改ざんしていたことが白日のもとにさらされました
宣伝に引用された論文には、データ改ざんやねつ造の可能性があることを、
私たちは頭に入れておくべきです
いかに薬がウソの宣伝をされて売りさばかれているか
ワクチンも同じ、いいえ、ワクチンのほうがもっと悪い
 
薬は病気の人にしか売れないけれど、ワクチンはすべての人に売ることができるからです
 
健康な人を相手にして脅せば、1歳あたり、
百万人の需要が確保できると言われている商品なのです
 
2014年の4月
子宮頸がんワクチンなどの副作用について審議する、
副反応検討部会の委員らが、子宮頸がんワクチンのメーカーから講演料などを
受け取っていたにもかかわらず、すべてを申告せずに審議会に
参加していたことが公表されました
また、子宮頸がんの征圧を目指す専門会議という、
子宮頸がんワクチン接種の啓発を進めている医師や学者を中心とした団体が、
ワクチンメーカーから莫大な寄付金を受け取っていることも報道されました
こんなことは氷山の一角でしょう
 
これだけの被害を出し、しかもワクチンとしての価値がないとしか思えない
子宮頸がんワクチンを中止することができないのは、中止すると、
受け取るものが減って困る人たちがたくさんいるからです
 
政治家主導で導入されてきた子宮頸がんワクチン
このワクチンに引導を渡せるのは誰なのでしょう』
 
 
 
『常在菌にワクチンは必要ない
常在菌は健康な人には悪さをしない
2013年から赤ちゃんへの定期接種となっているヒブワクチンと肺炎球菌ワクチン
肺炎球菌もヒブも、どちらも常在菌です
常在菌とは、人の体のどこかに棲みつき、通常は悪さをしない菌のことをいいます
人の腸管、口やのどにはこうした常在菌がいつでもいて、
普通に生活している中で、私たちはうまくつきあっているのです
(中略)
体力が落ちて多少菌が増殖したところで、健康に暮らしている人にとっては、
えいと撃退してしまえるもので、何も怖いものではありません
免疫力が極端に落ちている、本当にごくまれな場合に、髄膜などに侵入して
重症化することがあるのです
 
寝たきりで体力も落ちているお年寄りや、お母さんからもらった免疫で過ごしている
赤ちゃんが、たまたまなんらかの原因で、体の抵抗がひどく低下してしまったというような
場合です
そうした時のためだけのワクチンなのです
(中略)
赤ちゃんにはお母さんからもらった免疫が残っていて、
まだ自分で抗体を作る力が育っておらず、2歳くらいになるまでは、
ワクチンを接種しても十分免疫が作られないのです
肺炎球菌ワクチンだけではありません。どんなワクチンでもです
 
だから、昔は、2歳以下のワクチン接種は控えられていたのです
 
でも、肺炎球菌で重篤になる危険な場合があるのは(めったにないことですが)、
0歳、1歳の赤ちゃんです
 
(中略)
ここで疑問が起こります
ヒブワクチン、肺炎球菌ワクチンに、破傷風の毒素とジフテリアの毒素が加えられているのなら、
四種混合ワクチンで重複している破傷風ジフテリアを受ける必要があるの?という疑問です
困ったことに、海外で作られたヒブワクチン、肺炎球菌ワクチンをそのまま導入してしまって、
日本が開発してきた四種混合ワクチンとの整合性は、全然考えられていないのです
よけいに打てばいいというものではないのに
 
ジフテリアトキソイド、破傷風トキソイドは、長年の使用で、
ある程度の信頼性はあります
けれど、単独で安全なものが、それを混ぜて、別なものと一緒になった時に
どうなるかということはわかりません
 
まして、四種混合ワクチンの接種で、ジフテリアの毒素と破傷風の毒素も入れるのに、
さらに同時接種でヒブワクチン、肺炎球菌ワクチンを打ってしまったら……
これはもう、いつアナフィラキシーショックを起こしてもおかしくない状況です
 
基本的には、ワクチンはそれぞれが安全性をきちんと考えて作られたものだと思います
けれど、それが積み重なった時にどうなるか
複合汚染となり、大きく健康を損ねる可能性もあります
こうした危険を検証しないまま安易に同時接種を奨めるなど、言語道断です
 
生まれてきた赤ちゃんは、最初のうち、お母さんからもらった免疫で守られています
それらの免疫がなくなるにつれ、外の空気に触れ、少しずつ菌やウイルスにさらされて、
発熱したり、鼻水を出したりしながら、少しずつ、少しずつ、自分の体の中で、
免疫抗体を作り始めます
ヒブ、肺炎球菌もその一つ。どこにでもいる珍しくもない常在菌です
赤ちゃん期を過ぎる頃にはどの子も自分で自然に抗体を作っていきます
乳幼児の一時の、めったにない病気を防ぎたいからと、
まだ免疫応答もしっかりできないうちに、毒素やアジュバントなどをあれこれくっつけた
異物をどんどん入れて、急いで免疫抗体を作って……
そんなことをしていいのでしょうか
 
(中略)
ワクチン接種によっていくつかの型を抑えると、もぐらたたきのように他の型が
増えてくるのです
(中略)
つまり、肺炎球菌やヒブなど、健康な人にとってなんの危険もない常在菌による感染で
重症化するケースは、ワクチンで多少いくつかの型を防いだとしても、
ワクチンで防いでいない別の型の菌によって、重症な髄膜炎を発症してしまう、
ということなのです
 
常在菌については、代表的な常在菌である腸内細菌のことを考えていただければ
よくわかると思います
抗生物質を長く服用すると、必要な菌まで殺してしまい、
悪い菌がはびこるようになったりします
 
抗生物質を飲みすぎて下痢をしたり、手を洗いすぎてカサカサになったり
人体のあちこちに普通にいる菌は、その健康を保持しているものでもあり、
強制的に全部排除すべきものではありません
 
だから、常在菌にワクチンはいらないのです
 
通常の診療所では診断がつきにくく、また抗生物質の効かない耐性菌の問題があるため、
肺炎球菌やヒブによる細菌性髄膜炎は医師にとっては非常にやっかいな病気です
 
しかし、めったにない病気です
小さな診療所では、一度も患者を診たことがない、という場合が多いでしょう
ヒブや肺炎球菌による細菌性髄膜炎は、優れた救急医療体制と、
救急医師の対応により、ほとんどの場合は治癒しています
亡くなることはほんとうにまれなのです
 
それなのに、現在、健康だった子どもが、ヒブ、肺炎球菌ワクチン接種に、
年間10人近くも亡くなっています
何か間違っているのではないでしょうか?』
 
 
 
『0歳児がはしかにかかるようになったのは、ワクチンを打つようになったから
(中略)
母子の免疫のつながりを壊してしまった
はしかのワクチンは、かつては2歳になって打つものでした
昔は、生まれたばかりの赤ちゃんは、はしかにはかからなかったのです
お母さんがはしかにかかって得た強力な免疫を、
へその緒を通じて赤ちゃんに渡していたからです
赤ちゃんはお母さんからもらった免疫に守られて、体の抵抗力がつく2歳くらいまでは、
はしかにかかることはありませんでした
 
ところが、今、1歳、0歳の赤ちゃんがはしかを発症しています
今のお母さんはワクチンで免疫抗体を作った世代、ワクチンで作られた抗体は、
赤ちゃんに渡せるほど強くはなかったのです
はしかは高熱が何日も続く重い感染症
その重い感染症が、ワクチンのために0歳児を襲うようになってしまった
母子の免疫のつながりを壊してしまったワクチンは、
赤ん坊を守っていると言えるのでしょうか?
 
かつて2歳をすぎてからだった麻疹ワクチンが、今は1歳で打たれています
0歳のうちに打つ場合もあるようですが、0歳児に打っても
免疫抗体が作られにくいと考えられています
実際に、2013年にはしかにかかった1歳、2歳の子どもの約半数には
ワクチン接種歴がありました
2004年以降、子どものはしかによる死者は出ていません
0歳児がかかるような環境を、私たちは作ってしまった
けれど0歳の子が亡くなっていない、それが救いです』
 
 
 
『針で体に異物を入れ、病気と闘うという考えは、
リスクの大きな、異常な考え
ワクチンは体にいいもの、という間違った思い込みがある
 
注射、好きですか?
ワクチンは体によいことだから、注射は健康のために積極的にしよう、
そう思い込んでいる人が多いのはなぜでしょう
ワクチンも、注射も、体にいいことではありません
ワクチンとは、わざと体に病気の種を入れることです
しかも、注射針を使い、強制的に体の中に入れるのです
(中略)
注射器で入れられてしまうと、体は拒否することができません
なんとなく注射が怖い、嫌だなというイメージは、
自分の体を守るための本能ではないかと思います
(中略)
かつてのような医療事故は、もう日本では起こらない……そう思います
けれど、海外で行っているからという理由だけで、
平気で0歳児に何本も同時接種する医師が出て来ている今、
同じような過ちが繰り返されないとは限りません
(中略)
必要のない注射は、できるだけしないに限るのです
針を使って、体にわざと異物を入れて、病気と闘うという考えは、
本来リスクの大きい異常な考え方です』
 
 
 
『過ちは繰り返されています
1989年に導入された、MMR(はしか、おたふくかぜ、風しん)ワクチン
このワクチンによる副作用を、厚生省(当時)は認めず、導入から4年後、
5名の死亡を含む、1700人以上の被害を出すまで接種が続けられました
そして今も、子宮頸がんワクチン、ヒブワクチン、肺炎球菌ワクチン、
日本脳炎ワクチンなど、明らかに副作用が多いワクチンが放置されたままになっています
副作用からことさらに目をそらしている人たちがいるのです
 
(中略)
副作用は本来、「副作用」ではなく、「害作用」と言うべきもの
何万人かに1人には起こってしまう「害」なのです
「副作用」とか、さらには「副反応」などと、
あってあたり前のことのように言い換えているのは問題です
 
ワクチン接種後の健康状態の悪化を、体質や心因性など、個人の健康状態のせいにしたり、
ワクチン接種後の副反応報告は、「紛れ込み」で、たまたま別の原因で具合が悪くなったのだと、
副作用の報告数を無視したり、乳児突然死症候群として闇に葬ったり
やっていることは、昔も、今も、同じではありませんか
 
ワクチン接種後に、ワクチン接種前とは違う様子があったら、
それは、ワクチンの副作用として考えるべきなのです
(中略)
現在、毎年、毎月、同時接種で亡くなっている赤ちゃんが出ているのです
これがどれだけ異常なことか。疫学を学んだ人であればわかるはずです』
 
 
 
『ワクチンは生物由来製品
体に入った時に何が起こるかはわからない
ワクチンは劇薬です
ワクチンが健康食品と違うのは、ワクチンは劇薬で、
大きなリスクが伴うものである、ということです
(中略)
ワクチンは、よほどのメリットがなければ、あえて体に入れたいものではないのです
 
(中略)
さまざまなことをやり、数年かかってきれいなワクチンを作ることができたのが
1963年ごろのことです
ところが新基準のワクチンが使われ始めたのは1965年です
国の審議会で、まだ汚いワクチンの在庫が1年分あるから、
切り換えるのはその次の年からということになったのです
 
国というものは、犠牲者が出ようとおかまいなしで、在庫処分をするものなのか
50年前のあの日の悔しさを、昨日のことのように思い出します
 
今も、国は同じことをしています』
 
 
 
『副作用のないワクチンを作ることは不可能
(中略)
どんなに科学が進歩しても、どんなに精製してウイルスだけにしても、
生物由来のものが自然の経路でなく人体に入った時にどうなるかは、わかりません
何度も何度も改良されたけど、副作用はなくなっていません
それどころか、開発した費用の元をとろうとするかのように宣伝され、
接種の枠を広げ、接種率を上げ、副作用が増え続けているのです
 
日本脳炎ワクチンをきれいにしようと必死に電子顕微鏡を覗いていた私には、
ここまで日本脳炎患者がどんどん減ってきたのは、ワクチンのおかげではなく、
環境の変化によってであることがはっきりわかります
 
豊かな生活環境は、感染症の危険を激減させてきました
しかし、どんなにがんばって研究者が開発を続けても、
副作用のないワクチンを作ることは不可能なのです
 
だから、必要のないワクチンはやめなければならない
(中略)
感染すれば、ほとんどの人がなんの症状もなく回復し、
日本脳炎ウイルスの抗体ができます
(中略)
また、近年は脳炎を発症しても治療が適切になされ、亡くなる人はほとんどいません
 
日本脳炎ワクチンは副作用が多く、もはや打つほうが危険なワクチンなのです』
 
 
 
『自然に治る病気に薬を使ってはいけない
(中略)
インフルエンザは自然治癒する病気です。薬はいりません
インフルエンザの原因はインフルエンザウイルス。ウイルスを殺す薬はありません
抗生物質は、最近を殺すための薬です。ウイルスには効きません
(中略)
体の自然な反応で熱を上げようとしているのに、解熱剤でその熱を下げようとすることは
非常に危険なことなのです
発熱は、自分の体を守るための生体の反応です
熱中症など、外から熱された場合は危険ですが、人間の体というものは、
自分の体の自然な発熱で自分に決定的なダメージを与えることはありません
 
インフルエンザの感染を防ぐ方法は何もない
手洗い・うがい・マスクは効果なし
(中略)
インフルエンザには、手の消毒は意味がありません
インフルエンザウイルスは手から感染するのではなく、のどや鼻から感染するのですから、
(中略)
うがいも効果はありません
のどや鼻の粘膜にくっついたら、ものの30秒~1分以内に細胞内に入ってしまうのです
細胞に取り込まれたウイルスを水で洗い流すことは不可能
うがいでインフルエンザを予防するつもりならう、延々とうがいをし続けなければなりません
ではマスクはどうかというと、ウイルスの粒子はマスクの繊維のすき間など、
簡単に通り抜けてしまいます
(中略)
学校では、修学旅行での持ち物リストに「マスク」と書かれたようです
何かあった時にマスクを持っていなければ、学校が大変な避難を受けることになるからです
マスクは、持っていれば発病しても許される免罪符
感染を防御するには役に立たないけれど、エチケットの意味での効果はあるのでしょう』
 
 
 
『インフルエンザの流行を防げない一番の理由は、元気な人が感染を広げているからです
インフルエンザは、感染しても、熱を出ず、元気な、不顕性感染という状態の人が
たくさんいるのです
そして、こうした人が学校や職場で、自分でも気づかぬうちに感染を広げています
(中略)
およそ5人に1人の高い確率で不顕性感染があるものを、予防の心がけで防ぐのは無理
(中略)
インフルエンザの感染を防ぐ方法は、ありません
かかるのも、うつるのも、仕方のないこと
その人の心がけのせいではありません
社会生活をしている以上、感染の機会をなくすことはできないのです』
 
 
 
『インフルエンザにかかったら病院に行ってはいけない
できる限り病院にも行かないこと
インフルエンザは病院にも行く必要はありません
高熱で赤ちゃんの痙攣が15分以上続いたような場合は別ですが、
インフルエンザの発熱で病院に行く必要はありません
 
病院に行くほうがかえって危険
 
治りかけている人が病院に行って、また別の型に感染するのもよくあることです
他の重大な病気を抱えている人に感染を広げないためにも、
のこのこ病院へなど行かないこと
しっかりと発熱して十分に睡眠を取り、自分の体でウイルスを退治すれば、
すっきりと自然に治っていくのです
(中略)
つまり、インフルエンザを発病しないための最強の予防策は、
インフルエンザにかかることです
インフルエンザにかかったら、ラッキー、ただで生ワクチンをもらった、
これでしばらくはかからない、と考えればいい
インフルエンザはたったそれだけの病気なのです』
 
 
 
『インフルエンザの研究にはたくさんのお金が集まります
世界中の、あらゆる年代の人がターゲットの商品なのですから
誰もインフルエンザの流行を抑えることはできない
インフルエンザは怖いよ、怖いよ、と脅し続ければ、
永遠にワクチンとインフルエンザの薬を売り続けることができる
潤沢に研究費があり、永遠に続けられる商売なのです
だから、途方もない研究だけれど、やめよということにはなりません
 
今やインフルエンザは世界一大産業、世界戦略です
予防も薬もいらないインフルエンザという病気に、
たくさんの人が依存して利益を得ているのです
 
私たちは、ワクチンにも、薬にも、インフルエンザにはお金を使う必要はありません
必要なのは、インフルエンザにかかってつらい時には休める社会の体制を作ること
それがインフルエンザにおいてはもっとも大切なことです
体調の悪い時に休める社会であれば、インフルエンザは人類にとって
決して驚異とはならないでしょう』
 
 
 
『いらないワクチンは断る
(中略)
現在、0歳児が打つワクチンが増え、何本ものワクチンが同時に
接種される事態になっています
予防接種裁判のせいで欧米に比べ日本のワクチン政策が20年遅れた、
日本はこの遅れを取り戻さなければならないと言う人たちが現れたからです
 
子どもを救うためと言いながら、新しく登場してくるワクチンのどれもこれもが
高価です
すると今度は、貧しい人もワクチンを受けられるようにと、ある政党が言い出します
子どものための予算は通りやすい
そして子どものためにというワクチン行政に反対できる政党はありません
こうして次から次へと公費が投入されます
 
そして、公費負担となると、日本人は誰もかれもがワクチン接種に出かけてしまいます
国が奨めたとたん、70%、80%という接種率にはね上がるのです
そんな国、他にはありません
(中略)
ひと昔前の小児科医の仕事は、感染症との闘いだったのです
小児科医の仕事は、親の心配を取りのぞくことでした
しかし感染症の多くは抗生物質の普及とともに、重篤に至らず治ってしまうようになりました
そして近年、その小児科医の仕事が、ワクチン接種に移行しているのです』
 
 
 
『必要な人に必要なワクチンを
全員が打つ必要はない
(中略)
例えば、破傷風にさらされる職業についたら破傷風のワクチンが必要だし、
風疹にかかっていなくて不安な女性は、妊娠前に風疹のワクチンを打ったほうがいい
おたふくかぜにかからないまま大きくなってしまった男性は、
成人男性のおたふくは睾丸が腫れて悲惨ですから(でも男性不妊症になることはありません)
ワクチンを打つことを考えてもいいでしょう
そのように、ワクチンは、必要な人が必要な場合に打てばいいもので、
すべての赤ちゃんに打つべきものではありません
 
全員で防衛しましょう、などという言い方は、全体主義的な危険な言い方です
それに、全員で足並みをそろえてワクチンを打っても、病気を撲滅することはできません
これまでの例を考えても、ワクチンを徹底してかえってやっかいなことになっています
 
結局、「赤ちゃん全員の接種」の意味は、裏を返せば、すべての赤ちゃんに接種を奨めれば、
百万人分の需要が換気できる魅力的な商品ということなのです
 
必要な人が、必要な時にワクチンを打てばそれでいい
メーカーにとってはたいして儲けにはなりません
でも一人ひとりの健康を守るためには、それが一番確実で、
一番安全なことなのです』
 
 
 
『ワクチンは強制ではない
「努力義務」は受けなければならないものではない
 
定期接種とは、定められた年齢の期間内の予防接種を、国が公費で負担をし、
推奨しているワクチンのことです
これは、「受けなければならないもの」ではありません
 
法律では「努力義務」となっています
これは、努めるべきではあるが、そうしなくても処罰の対象にはならず、
選択は個人の自由に任されるという意味です
 
義務、という言葉がついていますが、義務でもないし、まして強制でもない
あたり前ですが、絶対安全とは言えない予防接種を義務という言葉を使って
国が強制することなどできません
 
予防接種を制度として行い、公費負担をして無料にしているということは、
富める人も貧しい人も、等しく高価なワクチンを接種できる権利を国が補償している、
というだけです
受けなくてはならない義務ではありません
 
(中略)
問題は、定期接種は、地域の保健センターから赤ちゃんのいる家庭に郵送で
お知らせが届くことです
そうすると、誰もが、「打たなければならない」と思い込んでしまいます
赤ちゃんの検診に行けば、ワクチン接種を受けていない親には、
保健師さんの指導が入ります
誰もが強制接種と同じような圧力を感じることでしょう
 
(中略)
保健所からのお知らせ、この公権力というものがいかに強いものか
黒船がやってきた頃から始まった、大日本帝国の伝染病対策時代から続く伝統なのか、
ワクチンを受けない者は、反社会的、という扱いをされてしまいがちです
 
国が奨めるものは受けなくてはいけない、誰もがそう思い込んでいるから、
なんの疑問も感じることなく予防接種に連れていってしまいます
一方、疑問を感じたお母さんは、拒否することの難しさに悩まなければならないのです
 
(中略)
子どもは親や先生の言うことを全部聞くわけじゃないでしょう?
(中略)
受ける、受けないは、それぞれ個人で判断すべきなのですから
本人の意思に反してワクチンを強要するなど犯罪的な行為といえるでしょう
自分と家族の大事な体にかかわる個人の選択について、
他人にあれこれ非難されるいわれなどありません
 
ワクチンを選択することは、医療行為における、大切な自己決定権なのです』
 
 
 
『病気にかかることは生きていく上で必要な、とても大切なこと
(中略)
人間は、無菌動物ではいられません
いったん羊水から出て、オギャーと外に生まれてしまったら、ウイルスや細菌、
さまざまなものにさらされます
自分で抗体を作ることのできない時期にはへその緒を通じてもらった母親の交代で守られ、
ときに病気になったりしながら、少しずつ抗体を作り、抵抗力をつけていくのです』
 
 
 
『「ワクチンで防げる病気」のほとんどが自然に治る病気
「ワクチンで防げる病気」というワクチンの宣伝文句があります
ワクチンのある病気は、ワクチンで防ぎましょう、というわけです
まるでワクチンのある病気にかかることはいけないことのような言いぐさです
 
風疹、水ぼうそう、おたふくかぜ、インフルエンザなど、
現在ワクチンのあるほとんどの病気は、怖い病気ではありません
はしかだって、死ぬ病気ではありません
ワクチンの宣伝のために、怖い、重症化すると思わされているだけで、
ほとんどが薬も必要なく自然に治っていく病気です
 
だいたい、ワクチンで防げると言いますが、ワクチン効果は100%ではないのだから、
そういう断定的な言い方が許されるものではありません
(中略)
一方、天然ものの病気にかかってしまえば、ワクチンよりはるかに強力な抗体を
得られます
小さ頃にかかれば本当に軽くすむ場合だってあるのです
 
結局、「ワクチンで防げる病気」は、「ワクチンを作ることができた病気」なだけなのです
おそれるほどのものではありません
看護することができるなら、病気にかかってしまっていいのでは?
 
嫌気性の菌のため、自然感染の機会がない破傷風は、ワクチンでしか防ぐことができないでしょう
でも感染してから治療することは、今は可能なのです
 
(中略)
抗生物質のなかった時代には、必要だったワクチンもあります
でも、今はほとんどのワクチンがいらなくなりました
今、すべてのワクチンを見直す時がきているのです
 
太古の昔から、人類はさまざまなウイルスや菌にさらされ、時に病気にかかり、
病気とたたかい、ここまで進化してきました
その結果が私たちです
人は病気にかかりながら、強固な免疫を獲得してきたのです
病気がなければ、ここまでの生体防御システムはでき上がらなかったことでしょう』
 
 
 
『[特別対談]
「脅しの医療」に対抗するために
「医療産業複合体」が一般の人の恐怖心をあおっている
 
母里 今、日本の医療がどんどん悪くなっているような気がするんです
 
近藤(誠) 悪くしているんです。インフルエンザワクチンが効く、と聞けば
     すぐ信じてしまう
     僕がやめなさいと言っているがん検診も、いいことがあると思って
              受けに言ってしまう
     それはそう仕向けている勢力があるから
     「医療産業複合体」がね、そうさせてるんですよ
 
母里 医療マフィアですね(笑)
 
近藤 日本人は世界で一番長寿で健康です
   その中で医療業界がどう利益を上げていくかというと、結局、
     健康な人に医療行為を押し付けるしかない
   専門家、製薬会社、厚生労働省、機器メーカーなどからなる医療マフィアが
       チームプレーをして、一般の人の恐怖心をあおる
   不安にさせておいて、こんないいものがありますよと鼻先にぶらさげて……
 
(中略)
母里 そんな中で今、予防接種は小児科医の収入源になっていて、それがなければ
   小児科医が成り立たないようになっているんです
 
近藤 製薬会社の思惑もありますね
   近時の不況の中でも、製薬会社だけは右肩上がりで売り上げを伸ばしてきた
   しかしこの先、薬たちの特許が切れ、他方で有望な新薬がなかなか出ない
   ではこれから何で儲けるか、というと、そのひとつがワクチンです
   それに厚生労働省も医者も乗っかっている
   厚労省は結局、名もなき大衆よりも、自分たちの利益に関連している製薬業界、
   医者たちのほうが大事なんです
 
(中略)
近藤 ワクチンの補助金に1000億という金が払われてますからね
   土木工事と一緒で、税金でやってる公共事業です
 
(中略)
母里 国民の目をごまかして、そこにお金をどんどん入れて……
   まず、最初にワクチンに高い値段をつけておき、金持ちだけ接種できるのはけしからん、
   こんなに怖い病気なのに貧乏人を差別してるという構図を作って、その後、公費負担に
   入れるんです
   そのやり方が繰り返されて、どんどん予防接種が増えているんです
 
近藤 ま、商売としては上手だよな
 
母里 すごい上手ですよ
 
(中略)
近藤 昔は医療機関で処方されていた薬が、今は薬局で手に入るでしょう
   ロキソプロフェンとかファモチジンとか。危なくてしょうがないですね
 
母里 怖いですね。なんでもかんでも規制撤廃で自由化自由化です
 
近藤 あれは製薬会社の保護策です
   特許が切れて、ジェネリックという後発薬が出るため、医療機関では値段が下がるから、
   先発メーカーの薬を薬局で売らせよう、それで儲けを確保させようという親ごころ
   一般の人が副作用で倒れようが死のうがかまわないという、人命軽視の姿勢なんですね
 
母里 ほんとに薬はそういう出し方ですね
   それで日本人は薬好きだからどんどん服用してしまう
 
(中略)
ワクチンに入っているものは体の中に入れてはいけないものばかり
 
母里 ここまでワクチンが増えてきて、アレルギーから始まって、アナフィラキシーショック
   いっぱい起こっていると思うんです
 
近藤 ワクチンはインフルエンザのタンパクとか、ヒトパピローマウイルスのタンパクを
   注射して入れても、それだけでは体に何も起きないから、免疫活動を活発化させるための
   アジュバントという補助剤を入れるわけだ
   これがおっかないですよね。リン脂質やアルミニウム、ウイルスを不活化させるための
   ホルマリンや、異物でしかないゼラチンが入っていたり
   なんかもう、人間の体の中に入れちゃいけないものばっかり入ってる
 
母里 それを何回もやれば、アナフィラキシーショックを起こすのは確実だということは、
   免疫学の基礎なんですけどね
 
近藤 確かにヒトパピローマウイルスのワクチン(子宮頸がんワクチン)は2回目以降に
   おかしくなることが多いからね
 
母里 しかも多種類のワクチンのアジュバントが蓄積されてくる
   この間インターネットで、赤ちゃんに6種類のワクチンを打つ動画を見てぞっとしました
   同時接種してくれるいい病院という宣伝なんだそうです
 
近藤 厚労省の言うのを真に受けて打っていたら、7歳までに30回以上って言ってましたね
 
母里 0歳で10回ですよ。私がワクチンに関わっていたころはワクチンは2歳からだったのに
 
近藤 しかも任意接種まで受ければ、生後2ヵ月からの半年間で15~16回でしょう?
   そんなもの必要ないし、危険です
   人間の自然な状態を考えてみると、まだ免疫学がうまく働いていない0歳児は、
   お母さんの体内にいた時に胎盤を通じて抗体をもらっているわけですよね
   最初の半年、1年半はその抗体だけでなんとかやっていける、というお膳立てがしてあって、
   その間に赤ちゃんが自分の力で免疫を作っていく
   そういう時期に、強制的に次々病原体を体に入れられるなど想定していないわけだ
   生まれたての体の仕組みがしっかりしていない時期に、何種類ものワクチン接種すれば
   何かおかしなことになる
   ヒブ、肺炎球菌ワクチンなどの後に突然死が増えているのはそのひとつでしょう
 
母里 厚労省は、突然死が増えているから、突然死症候群の研究班を作って研究してます
   またそれもうやむやにするつもりです……
   ワクチンを導入したら突然死が増えた、
   それだけでワクチンに害があることを証明しているのに
 
近藤 まったくその通りです
 
効果も安全性もきちんと調べられていない
 
近藤 だいたい最近のワクチンは、きちんとしたデータがない状態で導入されています
   普通、薬はランダム化比較試験というものを行って、実薬とプラセボ(偽薬)で効果に
   違いがあるかどうかを調べなければいけない
   ところが最近のワクチンは、それが実質上行われておらず、単に抗体価が上がったか
   どうかの実験しかしていない
 
母里 抗体価が上がれば効いた、予防が期待できる、と称するんですよね
   水打ったわけじゃないから上がるでしょと思うんですけどね
 
近藤 それを打って感染が予防できたとか、長期的な害が少ないとか、そういうことは
   一切調べてないんですよ
 
母里 日本のワクチンは、プラセボと比べて有害作用がないかどうかの調査だけはやっていました
   ただ、外国製のワクチンが入ってきてからは、日本での臨床試験はなしです
   外国でやってるから安全、何ヵ国で使ってるからどうだこうだと
 
近藤 外国での調査は、ひとグループが100人とか、人数が少ないんだよね
   それも、ワクチンを何種類も打ってるところに、ひとつ新しいものを加えて
   調べてみましたというような実験
 
母里 しかも途上国に持っていってテストしたり、やり方がひどい
   だいたい0歳の子どもで臨床試験できたとは思えないですからね
 
近藤 安全性なんて調べられていないも同然ですよ
   一応論文のタイトルには
   「……と安全性」なんてタイトルがついているけど
 
(中略)
近藤 日本人の薬好きは世界一なんですよね。歴史的に抗生物質は世界の7割使ってる
   7割の法則ってのがあって
 
母里 タミフルも7割使ってましたね
 
近藤 正確には7割5分だったかな。製薬会社と結託して医者が使ってる
   日本の医者はいいかげん。ひとりの患者に薬を、10種類、15種類って出す国は
   他にないよね
 
母里 何か症状を訴えると次から次へと増えていく
   定年後に3年だけ介護老人保健施設の施設長をやっていたんですけれど、
   入所してくる時、みんな山のように薬を持ってくるんです
   今、施設がいいのは、出来高払いではなく包括払いなんですよね
   いくらやっても老健は儲かりませんから、本当に基本的な、心臓病と、
   糖尿病と、高血圧もどうかな、と思うけどそれくらいにして、他の薬を
   全部やめるんですよ
   すると、もう確実に元気になる
   あっちが痛いこっちが痛いと言っていたのもよくなります
 
近藤 頭もはっきりしてくる人が多いですよね
 
母里 はっきりしてきます(笑)
   あれだけの量の薬を全部飲んでいるかというと、飲んではいないものですけれども、
   ちゃんと飲んでいたら、もっと薬害が出るでしょうね
 
(中略)
近藤 薬を出す時に引き算をしないからね。足し算ばっかり
   頭が痛いと言った時にはこれを出すとか、血圧が下がらないと言うとまた出してとか
   マニュアル化されている。医者自身が勉強していないから、やめるのが怖い
   患者の側も、疑うことを知らない。患者には基本的に勉強する義務はないんです
   そのためにプロがいるわけだからね。だけどプロがいいかげんだから
 
できるだけ医者に行かないようにするのが一番
 
母里 本当に、困ったお医者さんが多いです
   ワクチン打たないというお母さんは、うちでワクチン打たないなら診てあげないとまで
   言われることもあります。医師法違反です
 
近藤 がん診療でも、治療を受けなきゃ診てやらないという医者、多いですよ
   がんの場合、その治療というのが胃袋とるとか、抗がん剤だからね
 
母里 ぜんぜん診てもらえないというのは不安だから、どうしても病院に行くでしょう、
   行ったら最後
   母子手帳開いて、何と何と何をやっていないから、今ここで受けていきなさいとなる
   そこでの断り方を教えてくださいと聞かれることがあって
   地方だったりすると、地元ではその小児科の先生にしか診てもらえないという場合も
   多いんです
 
近藤 うーん、まず、小児科医がほんとに必要な病気ってもうほとんどないからね
   だから行かないようにするのが一番いいよね
 
母里 やはり……そうですね。医者に通うなということですね
 
近藤 子どもの場合、熱が出たとか、具合が悪くてもちょっとぐずるとかで
   病院に駆け込むことが多い
   でもたいていの病気は、1日ちょっとガマンすればよくなるのがほとんどですよね
 
母里 今、1日もガマンできないお母さんもいますけれども……
 
近藤 確かに、相談できる年寄りも身近にいないことも多いしね
   でも、とりあえず言っておかなければいけないのは、
   「自分や子どもの体を信じなさい」ということですね
   熱が出ても、ぐずっても、1日2日たてば、体はちゃんと回復してくれます
 
対処法だけわかっていれば、あとは体がなんとかしてくれる
 
近藤 対処の仕方だけ知っておけばいい
   下痢したり吐いたりしたら、水分をたくさんとって、もっともっと下痢したり
   吐いたりするようにしなきゃいけないとかね
   昔は下痢するから水を飲んじゃいけないとか言ってましたが、逆効果
   水分をしっかりとっていれば、体が毒素を出してくれる
   体が毒素を出そうとして吐いたり下痢したりするわけだから
   あと、インフルエンザなどの発熱性の疾患になったら、とにかく薬を飲まないこと
   解熱剤はとくに危ないし、タミフルなんてとんでもない薬です
   (中略)
   発熱性の疾患は自然に治るんだから
 
患者に安心感を与える医者がいなくなった
 
母里 医者が「手遅れですよ」と言ったり、
   「なんでこんなにひどくなるまで連れてこなかったんだ」などと言ったりして
   脅すのが困ります。脅しの医学になってると思うんです
 
近藤 医療っているのは恫喝産業だから。不安産業でもあるよね
   (中略)
   最初は理想に燃えて医師になったかもしれない
   ところが、来る人来る人みんな健康じゃないか、と
   そうすると、考え始めることは、健康人をどうやって、病人に落とすか
   (中略)
   今、病人を作るもっとも手っ取り早い方法は、健康診断、人間ドック、
   がん検診、こういうものなんですよ
   これらがなかったら日本の医療は崩壊します
   健康な人に検査で病名というレッテルを貼って、病人を作り出して、臓器を取ったり、
   いろんな薬を飲ませたりする
 
(中略)
多数決ではワクチン支持の人のほうが優勢……これは仕方がない
 
(中略)
近藤 防衛するためには、まず、知識なんだよ
 
母里 そうですね。自分で判断して、いらないと思わなければいけない
   あの人が言ってるから、やめておこうということではなくて
 
近藤 誰かの言うことを信じてやめようとすると、たとえば母里さんの言うことを信じるとしても、
   次に別の医者が何か言うと、またクラクラっときてしまう
   結局多数決になってしまうんです
   (中略)
   世の中にはワクチン支持という人のほうが多いし、ネットでも
   打ったほうがいいという人のほうが優勢になってしまう
   それは、そういうものなんだよ。しょうがない
   いい方法はなかなかないんです
   たまたまこの本に気づいて読んだ人が難を逃れるということでしょう
   大部分の人は被害にあわないから、世間に危機感を生じさせないんですよね
   実際に亡くなったり被害にあったりした方がいても、一般の人から見るとよそごとで、
   やっぱり感染症は怖いよねよ思われてしまう
   (中略)
   でも、発想を変えないと
   僕たち人類は生まれてこのかた、病気にさらされているんです
 
(中略)
母里 ヒアルロン酸コンドロイチンだの、飲んでない老人はダメだみたいな宣伝を
   していますよね。それはまあいいでしょう
   ワクチンだって、メーカーが作ってメーカーが宣伝する分には結構です
   だけど、それを国が認めて奨めていること、公費負担にしているからやらなきゃ損だ、
   やらなきゃいけないものだと思わせているということが問題なんですよ
   がん検診を公費負担にしても、大人はそれほどは行かない
   でも、赤ちゃんを人質にとって脅すと、親はみんな行っちゃうんです
 
(中略)
近藤 あらためて、必要なワクチンがあるのか考えてみたいんだけど、「必要」って、
   必ず要ると書くわけだけど、よくよく考えても、そんなワクチン思い当たらないね、
   この時代
 
(中略)
すべてのワクチンは大人になってから自分で判断して打てばいい
 
(中略)
近藤 ワクチンは、赤ちゃんには考える力がないし、お母さんのほうはもう心配が先にたって、
   思考停止になってしまう。そこに医者がつけこみやすい
   ……でも、そう考えてみると、ほとんどのワクチンは、中学、高校になってからでも
   いいんだよね
 
母里 そう、そうなんです
   子どもが感染症で死ななくなったんだから、本物の病気で免疫ができて、
   それで抗体ができるほうがいい
   それでもかからなかったら、あとから打てばいい
   そういう意味で、以前風疹のワクチンは中学生だったんですよね
 
近藤 だから、ほかのワクチンも、本人が成長してから、それぞれ必要性を考えて打てばいい
 
母里 私もこれまで、はしかくらいは打っておいたらとか、破傷風は効くわよとか、
   全面否定はしていなかった
   でも、一生のうち、いるかいらないかと言ったら、やはりいらないです
   はしかのワクチンを打っていなければ保育園の職員になれないとか、
   必要になった時に考えて、その時受ければいい
   赤ちゃんに是が非でも打たなければならないものではない
 
近藤 大人になってから自分で判断して受ければいいんです
 
母里 それが結論ですね。赤ちゃんに親が強制できるものではないと
   親が選んで後悔しないようね
 
近藤 子どもはある意味では他人ですからね
   しかし他人以上に、その人生を尊重してあげないと』
 
 
 
『科学の進歩と経済の発展にまかせて、人々は自らの手に余るものを作ってしまいました
ワクチンと原発は、同じ問題をはらんでいます
生命、原子力……人類が制御できないものに対して、思う通りにコントロールできるという
思い上がりが、今のこの状況を作っているのです』
 
 
 
 
 
いかがでしたでしょうか
 
今回こういう形でお送りしたのは、
 
自分に知識が足りていない、
時間も少ない、
 
ということもありますが、
自分が得た情報を奥さんに渡すためということもあります
 
なので、
引用文ではありますが、
箇条書きのような形になっています
 
しかし、
有用な情報も多かったのではないかと思います
 
今後も予防接種やワクチンに関しては、
随時勉強経過を報告していきたいと考えています
 
 
 
では今回はこのへんで
 
また次回お会いしましょう!

自分の頭で考えよう。〝答え〟はいったん置いとこう

こんばんは!

 

最近はホテルマンとしても活動している男、

guts koporu takkaです

 

夜勤なので3時間の仮眠があり、

寝れないもんだよ‥

との話をされていましたが、

 

安心してください!

ちゃんと寝れています!!

(流行語大賞狙い)

 

 

どこでもいつでも寝れる男、

それがguts koporu takkaです

 

南西沖大地震のとき私は10歳でしたが、

食器は割れ、道路は真っ二つの惨状のなかで、

ベッドに戻った私を見て両親は、

 

「こいつは死ぬな」

 

と思ったそうです

 

 

生きてますけどね!

 

 

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ちきりん、自分のアタマで考えよう(知識にだまされない思考の技術)

 

 

 

 

 

どこかで、鎖を断つしかない

 

『知識が思考の邪魔をするため、誰にとっても、

自分が詳しい分野において斬新なアイデアを受け入れることは、
よく知らない分野においてそうするよりはるかにむずかしいことです
 
よく知らない分野であれば、革新的なアイデアを寛容に受け入れる人も、
自分の専門分野については驚くほど保守的であったりします
保有する知識が多すぎて、どんなに斬新なアイデアを聞いても
頭の中からひっぱり出してきた知識によって
「そんなことは不可能だ。できるわけがない」
と否定してしまうからです
「詳しくなればなるほど、その分野での新しいアイデアに否定的になる」
傾向が見られたら、
「知識が思考を邪魔している」
ことを疑ってみた方がよいでしょう
 
反対に思考力のある人は、自分の専門分野においてさえ革新的で柔軟です
それは彼らが常にゼロから考えているからです
時代が変わり、世の中が変わり、新しい現象が出てきて新しい情報に触れたとき、
過去の知識ではなく、目の前の情報から考えることができるかどうか
それが「考えることができる人」とできない人の分岐点です
もしくは、
「時代の変化に気がつく人」と気がつかない人の違いともいえます
 
また、知識の中で特に影響力が大きいのは、成功体験と結びついた知識です
過去に大成功したという記憶(それ自体がひと固まりの知識です)が、
新しい情報に触れたときにシャシャリ出てきてゼロから考えることを妨げます
そうなると、せっかく時代の変革期に新しい情報に触れているのに、
過去の知識に囚われてしまい、先入観をもたずに考えることができなくなります
 
知識とは「過去の事実の積み重ね」であり、
思考とは、「未来に通用する論理の到達点」です
ちきりんは知識の重要性を否定しているわけではありません
知識と思考を異なるものとして認識しましょうと言っているのです
 
冒頭に、わざわざ「自分の頭で」考えるという言い方をするのはなぜだろう、と書きました
一部の「知識」は「過去において、他の人がその人の頭で考えた結果」です
それを私たちは書籍や講義、報道などを通して学んでおり、
自分の頭の中に知識として保存しています
なにかを考えろ、と言われたときにそれを頭の中から取り出してくるのは、
「他人の思考を頭の中から取り出してくる行為」に他なりません
他人の思考は正しい場合もあれば間違っている場合もあります
時代や背景となる環境条件が異なる場合も多いでしょう
 
さらに危険なのは、それが「大きな権威をもつ、メディアや専門家の思考」
である場合です
その分野の大家と呼ばれる人が書き、歴史の判定を受けて長く生き残っている名著には、
多くの場合「答え」が書いてあります
そんなすばらしい「答え」を目にしても、それに引きずられずに
「自分で考える」ことができなければ、
私たちは未知の世界に向けて新たな思考を拓いていくことができません
 
現代社会ではマスメディアの影響も絶大です
「金髪に鼻ピアス、下着が見えるほどずり下がった
 穴だらけのジーンズを履いた20代の若者」
を見て、「信頼できそうにない」と思う人は少なくないでしょう
けれどその人は、そういう風貌で実際に信頼できない若者を
現実に一人でも知っているのでしょうか?
「こういう風貌をしている若者は信頼できない」という知識を、
ドラマや断片的なニュースからすり込まれているだけではないでしょうか?
 
このように、私たちはしばしば他人の考えをまるで自分の考えであるかのように錯覚します
だからその戒めとして、
「誰かが考えたことではなく、あなた自身が考えたことが重要なのですよ」
という意味で、
「自分の頭で考える」という言葉が使われるのでしょう
自分の頭で考えること、それは
「知識と思考をはっきりと区別する」
ことからはじまります
「自分で考えなさい!」と言われたら、頭の中から知識を取り出してくるのではなく、
むしろ知識をいったん「思考の舞台の外」に分離することが重要なのです』
 
 
私がいつも、
 
自分の頭で考えましょう
 
と言っている源泉がわかったでしょうか?
 
 
この人の頭の中は、ほんとにおもしろいですよ
 
なにをとっても、いちいち発想が違います
そして心に刺さる
 
と言うより、
どう考えてもこの人が言ってることが真実な気がするんだけど、
なぜ世の中の人たちは、
 
そうじゃない方
 
を当たり前だと思いこんでいるんだろう‥?
と思ってしまうほどです
 
〝世の中の当たり前を分解する〟
 
ことはかくも重要なことです
 
その当たり前を疑うことなく従っていては、
 
〝大切なものをどんどん奪われる〟ばかりです
 
それはなにかって?
 
利権を貪る権威者たちや、
既得権益を守ろうとする〝思考の止まった〟オジサンオバサンは、
 
あなたの大切な人の命なんて、
特に重要視してはいないと言うことです
 
もちろん、
その真逆のことを訴えてのさばっているわけですけどね
 
 
ちきりんさんは、本やブログというメインコンテンツはもちろん、
けっこうツイッターで凝縮された言葉を放ちまくっているので、
フォローをオススメいたします
 
 
 
『金髪に鼻ピアス~』のくだりですが、
 
まさに〝お金に対するイメージ〟なんてそれが顕著なのではないでしょうか
 
世の中のドラマなんかでは、
長い間
 
〝悪意を持った成金たち〟
 
みたいな人が出て来て、それを成敗する、
みたいな構成が人気を得ています
 
はっきり言いますけど、それは
 
〝そこそこの暮らしをしてもらって、
 そこそこ不満を持っているけど現状を変えようと行動するほどでもない〟
 
ような思考を植え付けたい人たちが
テレビを通じて流している情報にやられているだけです
 
そういう洗脳を受けた人たちにとっては、
悪代官を民衆の見方が成敗する、
みたいな話はさぞやスカッとするでしょう
 
でも冷静に考えてください
 
そもそも、
そういう人だったら豊かになれないんですよ
 
お金は心のツールです
より多くの人に希望や豊かさを与えた人が、
それに応じた報酬をもらっているだけのことです
 
たしかに、悪どい方法で稼いでいるような人は現実にいますよ
私にしても、合法ではあるけど、やってることは詐欺と変わらないような仕事で
稼いでいたことがあります
 
でも、私を含め、
行いは確実に還ってきます
 
私が地獄を見てきたことは皆さんになんの関係もありませんが、
そういう人は放っておけばいいのです
 
必ず自滅しますから
 
なので、お金は汚いとかそういう洗脳は早めに解いたほうがいいですよ
〝奴らの〟思う壺ですから
 
そう、テレビのドラマとかニュースにしても、
作っている人自体に悪意はなかったりするのもやっかいだったりするんですけどね
 
なぜなら、その人たちもすでに洗脳されているからです
 
 
自分の意思で、鎖を断ち切ってやりましょう
 
 
 
 
 
ルールを変えると、あなたはもう一度生まれてくる
 
『ビジネスの世界では、
この「新たな選択基準=新たなフィルターを提示する」ことを、
「ゲームのルールを変える」といいます
従来は価格と機能で競い合うゲームだったのに、
明日からはデザインでの競争がはじまる
もしくは、今までは機能の多さで競っていたのに、
あるときから機能の少なさ(=商品のシンプルさ)が競われることもあります
これが「ゲームのルールが変わる」という状態です
 
自らルールを変えることなど思いつきもせず、
従来のルールの中で必死に勝利を目指すのもひとつの方法でしょう
しかしそれは時に、果てしなき消耗戦につながります
自分達が得意な分野で勝負ができるようにゲームのルールを変える工夫をしてこそ、
努力が正当に報われる世界にもち込めるのです
(中略)
重要なことは、与えられたフィルターになんの疑問ももたず、
そのまま受け入れて必死に頑張ることではなく、
「自分(自社)独自のユニークなフィルターを見いだし、
 それで勝負していこう!」
という発想に転換することです
 
自分独自の選択基準を見つけること、それがなにであるかを考えること、
それこそが「自分の頭で考える価値のあること」なのです』
 
 
はい、このブログを読んでくださっている方なら
ピンときているでしょうが、
 
テストに出ますよ!
 
ってくらい重要なところです
 
 
ゲームのルールを変える
 
私はいまネットビジネスの勉強をしています
 
それは、
時間をお金に変える
 
というルールを変える行為です
 
時間を削って稼ぐのではなく、
稼ぐことによって時間を作り出す
そして好きなことをして、好きなように生きる
 
そこからまた次のエネルギーが生み出される
 
まったく別のフィールドだと思いませんか?
 
 
まあ、とっくにフリーエネルギーが生み出されているのに
握りつぶそうとしている世の中ですから、
こういった考えが浸透することはなかなか難しいかもしれません
 
しかし、それは妄想ではなく確実に存在している事実なのです
しかも全然少なくない数
 
あなたに見えていないだけで、
隣にある世界なんですよ
 
 
探さない人には妄想にしか思えない
 
しかし、
探す意思のある人にはわりと簡単に見つかる
そういうものがそこかしこにあります
 
具体的な例を述べてみましょう
 
 
私はいま函館在住です
 
こっちに来たころは、
日雇いの肉体労働をしていました
大変学びの多い仕事でしたが、子どもができ結婚するため、
もう少しいいお給料をもらえる仕事を探しました
 
そのとき、多くの人は
「函館なんて15~20万がせいぜいだよ」
と私に言いました
 
しかし現実として私は固定給28万、
年収1億以上稼げる仕事を見つけました
 
そこを数ヶ月で退職し、
次に
〝富を追求することなく、必要なだけ自由に稼げる可能性〟
を発見しました
ネットビジネスのことです
 
そしてその勉強をするにあたって、
これ以上ないくらい最適なアルバイトを発見しました
 
いずれも、
自分があると信じていたら自然と見つかったものです
 
これを単に運が良いと解釈するか、
別な見方をするかはあなた次第です
 
このブログを読んでいる時点で、
そんな人はいないと思いますけども
 
 
いいですか?
そのルールは〝与えられた情報〟です
 
まず、
一切の条件がなかったら自分がなにをしたいのか考えてください
 
そしてそれは本当にできないことなのか考えてください
あなたの人生の話です
死ぬ気で考えましょう
 
でもめちゃくちゃ楽しんで考えましょう
 
矛盾してるって?
 
いえいえ、
これがあなた独自のルールを創り出すための、
 
唯一で最高な方法なのです
 
 
 
 
 
 
〝もっともらしい情報〟はあなたをどんどん麻痺させる
 
『考えるときはたいていなにかの情報を見て、それに基づいて考えますよね
しかしこの〝情報〟がくせ者です
よくわからない、わかりにくい情報はまだいいのです
困るのは
「あまりにわかりやすく、疑いさえ抱かせないけれど、じつはおかしな情報」です
(中略)
一見それらしいデータを鵜呑みにしていると本質的なことがまったく見えてきません
この意味で、「もっともらしいデータ」は「疑わしいデータ」より危険であるともいえます
たとえ権威ある報道機関からの情報でも
「本当なのか?」と疑う気持ちと、
実際にそのデータを追い求めて深堀りしてみることが、
自分の頭で考えるときには必須であるということでしょう』
 
 
権威ある機関からのもっともらしい情報と言えば、
最近だとうちはやはり子どもの予防接種でしょうね
 
しかし、これも自分独自の思考と感性の中のルールで
生きていく習慣が身についていると、
どんどん連鎖していきますよ
 
この大量のワクチン接種案内はなんかヤバい!
受けさせない方向で勉強、情報を集める
ワクチンを受けていないことによっていろいろ言われるのでは?
そうなるならそもそも付き合う人たちを間違えている可能性は?
義務教育(洗脳機関)を受けさせる必要がないのでは?
よし、もっと調べてみよう!
 
という感じで
 
義務教育に関してはワクチンの話だけではないし、
偏りなく調べることも重要です
 
否定派の情報を得たら、肯定派の話を聞いてみる
 
なんにせよ、
疑うのならそれ以上にしっかりと調べることです
 
 
ただひとつだけ気をつけてください
 
私がワクチンのことを調べたとき、
否定派の方は理論的にお話をされていました
 
しかし、肯定派の人は100%肯定しているような
なにか気持ち悪い感触を受けました
 
これはたとえであり、
まだ私も一部を見ただけです
 
しかし間違いないのは、
肯定するにしても否定するにしても、
 
全肯定
 
全否定
 
ということはありえません
 
そういう状態で話をする人にだけは、
耳を傾けてはいけませんよ
 
あっと言う間に取り込まれちゃいますから
 
 
 
ではこのへんで筆を置きましょう
 
不定期のブログですが、
次回を楽しみにしていてくださいね
 
以下に、
読書ノートの残りを添付します
 
 
 
 
『多額の敷金礼金や保証金がかかる賃貸住宅、
基本料金だけでも数千円ずつ必要な光熱費、
無料のはずなのに教材費や給食費、修学旅行など多額のお金が必要な義務教育、
高額のメンテ費用をかけて一年中掘り返され、キレイに整備された道路……
この国は「健康で文化的な最低限の生活を営むための生活費」が高すぎると思いませんか?
 
ちきりんは、スーパーマーケットで売られている
イチゴのパッケージを見るたび溜息が出ます
イチゴがみんな同じ方向に並んでいるからです
誰がイチゴをひとつずつ並べているのか知りませんが、
その手間代はイチゴ代金に含まれています
そしてその手間代を払える人しかイチゴが食べられないのです!
(こんなふうに並んだイチゴしか見つけられない国は、他にありません)
 
などという例は卑近すぎるとしても、海外の大都市の多くには、
家賃から物価までバカ高い高級住宅地がある一方、
格安に生活できるエリアが都市部近郊に存在します
そういった地域では、1ヶ月分の家賃が払えない人でも部屋が借りられるよう、
週ごとに契約できる安アパートが集まっていたり、屋台で格安な食事ができます
ミネラルウオーターのボトルもビジネス街の半額だったりします
また、塾に通ったり習い事をする子供も少なく、
「お金がないから子供が産めない」という話にもならないため、少子化も進みません
 
こういった地域を〝スラム〟とか〝貧困地区〟と呼ぶ人もいますが、
今の日本のあまりに高品質で維持費の高い住環境を考えると、
むしろそういった地域を「格安生活圏」として認知し、
その存在を認めていくのもひとつの方法ではないかと考えています
 
こう書くとすぐに
「格差の固定化を認めるのか!?」などの反論を受けるのですが、
現実に格差があるのに全員に同じレベルの家賃や光熱費を払わせるから、
お金がなくてアパートを追い出されたり、
電気を止められる人が出てきているのではないでしょうか?
「たまに停電するけれど、電気代の基本料金はゼロ」というような、
「サービスレベルは高くないけれど、格安に暮らせる地域」があれば、
今よりラクに暮らせる人は確実に増えると思います
 
いずれにせよ、今の日本の財政状況の深刻さを考えると、
これからは「ありえるすべての可能性を検討する」ことが必要になるでしょう』
 
 
ではまた次回、
お会いしましょう!

覚悟を決める。そして整い切る前に、動く

こんばんは!

 

微妙にお久しぶりの、

guts koporu takkaです

 

例のブログを読んでお勉強?

と言うかその読んだ回は

 

〝私の好きなブログを教えます〟

 

みたいな感じだったので、

勉強したうちに入るのか‥?

と思っていましたが、

 

明日から仕事が始まるので

一本書いておこうと思います

 

あ、ホテルのアルバイト、

おかげさまで無事に受かりましたよ!

 

深夜のフロントスタッフなので

慣れるまで少し大変かもしれませんが、

明けは丸一日休みのようなものだし、

その他にきちんと休みもあるので、

出勤自体は11日とかそんなものです

 

きちんとネットビジネスの勉強もできそうだし、

子どもも生まれたばかりなので、

いい仕事が見つかったと思います

 

 

ちなみに、

もうひとつブログの勉強ネタで、

(言われるがままに)

詳細な

 

アクセス解析

 

を導入しようとして、

さっそく挫折しましたw

 

なんか一気にハードルが上がった感じがして、

思わず

 

〝ブログ アクセス解析ソフト 不要〟

 

Google検索してしまいましたw

 

‥‥‥

 

頑張ります!

 

 

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池田貴将、覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰

 

 

 

ロード・トゥー・リバタリスト

 

『翌年、再び黒船がやってくると、「日本にとって今なにが一番大事なのか」を

明らかにし、すぐさま思い切った行動に出た
松陰はこう言い残している
「今ここで海を渡ることが禁じられているのは、
たかだか江戸の250年の常識に過ぎない
今回の事件は、日本の今後3000年の歴史にかかわることだ
くだらない常識に縛られ、日本が沈むのを傍観することは我慢ならなかった」
彼は素晴らしい戦略家だったが、こういうときはろくに計画も立てなかった
「動けば道は開ける!」とばかりに、小舟を盗むと、荒波の中をこぎ出していって、
そのまま黒船の甲板に乗り込んだ
(中略)
松陰は生まれたときから空気のように存在していた「しきたり」を破り、
行動をもって自分の信念を貫くことをよしとした
そんな情熱家である一方、松陰は大変な勉強家でもあった
旅をしながらでも本を読み、牢獄に入れられても読みつづけた
それもただ黙々と読むのではない
人物伝を読みながら、その人物の清い態度に号泣し、軽率な行動に激怒し、
華々しい活躍に踊りあがった
頭ではなく、感情で学ぼうとする男だった。まるで子どもである
だからこそ学んだことが、ストレートに行動へつながったのかもしれない
(中略)
いつ出られるかもわからない牢獄の中で、
松陰はそこにいる囚人たちを弟子にすることになる
(中略)
松陰は身分や出身によって人を選ぶことなく、
一人ひとりから才能を見つけようと親身になった
(中略)
松陰は
「いかに生きるかという志さえ立たせることができれば、
 人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝手に学んでくれる」
と信じていた
だから一人ひとりを弟子ではなく友人として扱い、
お互いの目標について同じ目線で真剣に語り合い、
入塾を希望する少年には
「教える、というようなことはできませんが、ともに勉強しましょう」
と話したという
教育は、知識だけを伝えても意味はない
教えるものの生き方が、学ぶ者を感化して、はじめてその成果が得られる
そんな松陰の姿勢が、日本を変える人材を生んだ』
 
 
これ‥
最後の
 
『いかに生きるかという‥』
 
のあたりから、
私がいまネットビジネスを学ばせていただいている方と、
ほとんど同じ考え方なんですよね
 
自分がどういう生き方をしていくかという〝旗〟を立てれば、
同じ志を持った人たちが集まってきて、
自分たちで学びあってくれる
 
ちなみに、旗は
 
〝自由人への道〟
 
です
 
他人の可能性を拓きながら、
自分も成長していく
 
きっとここでも紹介していくと思います
 
楽しみに待っていてくださいね!
 
 
 
 
 
 
明日を待たず、今日動く
キリの悪いところから始められる人が、
想いを実現していく
 
『動きながら準備する
やろう、とひらめく
そのとき「いまやろう」と腰を上げるか、
「そのうちに」といったん忘れるか
やろうと思ったときに、なにかきっかけになる行動を起こす
それができない人は、いつになってもはじめることができない
むしろ次第に「まだ準備ができていない」という思い込みの方が強くなっていく
いつの日か、十分な知識、道具、技術、資金
やろうという気力、いけるという予感、やりきれる体力、
そのすべてが完璧にそろう時期がくると、信じてしまうのだ
だがいくら準備をしても、それらが事の成否を決めることはない
いかに素早く一歩目を踏み出せるか。いかに多くの問題点に気づけるか
いかに丁寧に改善できるか。少しでも成功に近づけるために、
できることはその工夫しかない
よく行動する人は、知識は必要最低限でいいと考える
なぜなら実際に動く前に、わかることなんてほとんどないと知っているからである
だからよく失敗する。だがそれで「順調」だと思っている
そのように私たちの脳は、自分の行動をうまく正当化するようにつくられている
小さくても、「一歩を踏み出す」という行為さえ続けていれば、
「なぜこれが正しいのか」脳が勝手に理由を集めてくれる
吉田松陰は、行動につながらない学問は無意味だと考えた
大切なのは、不安をなくすことではない
いかに早く、多くの失敗を重ねることができるか
そして「未来はいくらでも自分の手で生み出すことができる」という自信を、
休むことなく生み続けることなのである』
 
 
これは、とても大切です
 
現実面でも
 
精神的にも
 
〝整ってから動く〟
 
のではないのです
 
もちろん、
事前の準備はもの凄く重要です
しかし、
線引きをしないと、
永遠に準備だけして終えることになります
 
〝動きながら整える〟
 
が正解です
 
計画は狂うものです
 
精一杯考えて
 
できる限りの準備をして
 
 
日が暮れないうちに、
動き出すのです
 
 
 
 
 
 
当たり前を、分解する
 
『輪の中にいると見えなくなる
人が心ないことをしてしまうとき、
当人はそれが「ひどいこと」だとは自覚していないし、少しも気にしていません
もしも部外者ならば、はたから見て「ひどいこと」だってわかるはずです
ですが人はひとたび輪の中に入ってしまうと、どんなに賢い人でもその中に埋もれて、
自分のやっていることに、気づかなくなることがあるんです
ですから、ときどき自分たちの行いを客観的に考えてみることが大切です
「もしかしたら私たちは、どうかしているのかもしれない」と』
 
 
大企業
 
お役所
 
世にも奇妙な暗黙の了解や、
まかり通る理不尽
 
いつの間にかそれが当たり前だと思ってしまう
 
みんな我慢してるのに、
自分だけが我慢しないのは自分がワガママなんだ
 
そうして人は、
見事に洗脳されていくわけです
 
ハッとしたならまだ遅くないですよ
飛び出してください
脚が腐ってしまわないうちに
 
 
これは、
世の中のいろんな
 
〝アタリマエ〟
 
もそうですね
 
当たり前だと思って疑いもしなかったようなことを、
一度分解してみると良いでしょう
ゾッとすることが、
たくさんありますよ
 
私も最近生まれたばかりの娘に
ワクチン接種の案内がどっさり送られてきて
ゾッとしたので、
 
本をたんまり用意して勉強を始めました
与えれた情報をただ鵜呑みにしてほいほいと従っているようでは、
 
大切なものを、奪われていくばかりです
 
 
ちなみに私も最近まで大企業の輪の中で
 
〝どうかしてる体験〟
 
をたくさんしましたが‥
 
この話は散々したので、
もういいですねw
 
 
 
 
では、
今回はこのへんで筆を置きましょう
 
なるべく早い復帰を祈っていてくださいw
 
以下に、
読書ノートの残りを貼っておきます
 
 
 
 
『懇願
お願いです。本当にお願いですから
たった一回負けたくらいで、やめないでください』
 
 
『そこに未来がある
自分の心がそうせよと叫ぶなら、
ひるむことなく、すぐに従うべきだと思います』
 
 
『見失ったときに立ち返る
なにか新しいことをはじめようと思うなら、
その前に「なんのために、そうしようと思っているのか?」
はっきり言葉にしておいた方がいいでしょう
はじめてしまってから
「なんのために、これをやっているのか?」
あわてて理由を探したところで、負け戦になるだけです』
 
 
『感動は逃げやすい
山の小道というものは、人が通っているうちは道ですが、
ひとたび人が通らなくなると、すぐに草が生え、ふさがってしまうものです
人の心も同じで、良い話は誰もが好きだから、
すぐに影響されて「自分もがんばろう」と決意しますが、
なにも行動に移さないと、すぐに心から逃げてしまいます
道ができるか、ふさがるかは一瞬です
やってみましょう
人はいつでも、いまこの瞬間から変われるのですから』
 
 
『夢を引き継ぐ者
「自分が実現させたいこと」について、
何度も考えて、考えて、考え尽くすこと
人と話すときは、その会話のはしっこでもいいから、
「自分が実現させたいこと」について語ること
平和や安定を愛しながらも、
いつまでも続く平和や安定はない、という事実を、
つねづね自分に言い聞かせること
誰かが問題や事件に巻き込まれたとき、
無関心でいたり、口を出すだけで済ませたりすることなく、
その解決のために、積極的に動くこと
そうすれば、
仮に「自分の実現させたいこと」が、
断然せざるを得ない状況になったとしても、
誰かがその夢を受け継いてくれることでしょう』
 
 
『やればわかる
行動を積み重ねましょう
必要な知識や言葉は、やっているうちに身につきます』
 
 
『わかっているふりの怖さ
一番の問題は、その問題が一体どこから生じているものなのか、
誰もわかっていないということです
わかっているなら解決に向かってもいいはずですが、
変わらないところを見ると、
どうもまだ気づいていないようです』
 
 
『恥ずかしいこと
凡人はまわりから浮いていることを恥じ、
賢人は細かいことを気にする自分を恥じます
凡人は外見が地味であることを恥じ、
賢人は中身が伴っていないことを恥じます
凡人は自分の評価が低いことを恥じ、
賢人は自分の才能が使い切れていないことを恥じます
本当の恥を知らない人間が、私は苦手です』
 
 
『人物
私が尊敬するのはその人の
能力ではなく、生き方であって、
知識ではなく、行動なんです』
 
 
『丸くなりたくない人へ
今までの常識を無視しようとする人
周囲から止められても、なかなかあきらめようとしない人
それ以外は全員、並の人です』
 
 
『人に影響を与えられる人
他人への影響力は、自分への影響力に比例します
他人の考え方を変えたいと思うならば、
まず自分の考え方を変えてみることです』
 
 
『話し合いの本当の目的
人間同士、意見がぶつかってしまうと、
つい相手を言い負かそうとしてしまうものです
しかし「皆にとって、どうなることが最善か」というポイントに向かうためであれば、
自分の意見など気持ち良く取り下げるくらい、
皆のために生きてほしいものです』
 
 
『使える部下がいないという勘違い
リーダーは忘れてはいけません
才能のある部下がいないのではなく、部下の才能を引き出せる人物が、
まだこの場にいないだけだということを』
 
 
『慣れ親しんだ場所から出る
ひとりの人間には多くの可能性がある
ただひとり、「自分」だけが可能性を制限することができる
今までの自分が、これからの自分を決定すると誰もが考えているのだ
生まれてから今日まで、いろんなつらいこと、痛みを感じることがあった
もう二度とそんな目に遭わないよう、「自分」はつねに的確な助言をくれる
過去の自分の言うことを聞けば安全で、安心だ
だが「心からの充実」は得られない
居心地の良い場所にい続ける限り、「本当にやりたいこと」はできない
むしろ新しい刺激に弱くなり、だんだん感性が鈍ってくるだけだ
志は現状維持を否定する
今のシステム、考え方、ルール、
そういうものを飛び越えないと実現しないものに、目を向ける
今、手にしている現実は、過去の選択の結果だ
そして未来は、今まさに、心で決めたことによって決まる
いつからでも。どこからでも
松陰の感覚は「うまくいくか知らないが、これをやらなければなにもはじまらない」だった
それは良い結果を出すためでも、周囲から称賛されるためでもなく、
人並み外れて強く、心からの充実感を手に入れたいと思ったがためだった
慣れ親しんだ場所から出たとき、自分にとって本当の人生がはじまる
「評判は傷ついても、生き方は傷つかない
 生き方を傷つけるのは、自分だけである」』
 
 
『知らないものを味わう
誰かが取り組んでいるからといって、
遅れて取り組もうとするのは「決断」とは言いません
先だって決断し、
まだ誰も足を踏み入れたことがない景色を見てほしいのです』
 
 
『ひとつのことに狂え
「私は絶対こうする」という思想を保てる精神状態は、
ある意味、狂気です。おかしいんです
でもその狂気を持っている人は、幸せだと思うんです』
 
 
『嘆かなくていい
勝手に言わせておきましょうよ
あなたが本気なのは、神様はわかっていますから』
 
 
『凡人の評価
やると宣言したことを
やり切ることができた人に対しては拍手喝采ですが、
もしも失敗してしまったらそのまま牢屋送り
世間の評価とはそのようなものです
ただ知らされた結果だけを見て、
手放しに称賛したり、激しく非難したりする
せめて、その仲間にだけはならないでください』
 
 
『やってきたことのペースを守る
ひとたび才能が開花すれば、周囲にもてはやされるが故に、
才能に振り回され、潰れてしまう人だらけです
本物になるまで二十年
ただ、愚直に動いていればいい
今がどんな境遇だったとしても、愚直に動いていれば、
いつか大きな花が咲くことでしょう』
 
 
『人同士の法則
仲間になろうと、かっこつけて誘っても意味がありません
仲間になりたければ、
はじめから仲間のように接すればいいのです』
 
 
ではまた次回、
お会いしましょう

早くも戻ってまいりました!ちゃんと勉強してきましたよ

おはようございます!

 

さっそく戻ってまいりました、

guts koporu takkaです

 

 

実は昨日もここではなくて

Facebookのほうでブログのようなものを書いていましたw

 

はてなブログ内の

 

〝ブログ継続日数〟というカウンターを

物理的に一度ストップさせたかったので

こちらには書かなかったんですけどね

 

目に見える変化はまだないかもしれませんが、

お約束通りちゃんと勉強してから書きましたよ

 

これからも、

少しずつ勉強しながら不定期更新でお送りしてまいります

 

 

以下は、昨日Facebookに掲載しました、

 

〝ブログ(のようなもの)〟ですw

 

 

 

 

【これはblogじゃないですよ‥。blog〝みたいなもの〟ですよ‥】


書きたい情熱が抑えきれず、
はてなブログの外で書くことにしましたw

今日はblogをこらえるというのには、

・勉強もしていないのに書かない

はてなブログ内の〝継続日数カウント〟を物理的に一度途切れさせる

というふたつの目的があったわけですが、

後者に関しては、

継続日数のカウントが続いてしまうと、
強迫観念が働いてなんか書き続けてしまう‥
という状態を防ぐ意味があるわけですが、
これはfacebookで書いているのでセーフw


前者は、もちろん勉強してきましたのでセーフ!
というわけですw

いやあ‥
書きたいんすよ、ほんと!



ちなみにどうやってblogの勉強をしようとしているかと言うと、
まずはこの投稿から飛べるようにシェアをしております、


かん吉さんの『人気ブログの作り方』


これは同氏の『わかったブログ』内のカテゴリのひとつなんですが、
以前にこの方が書いた同名の電子書籍を読んだことがあるんですね
このblogを始めたころかな

その内容が秀逸だったので、
3ヶ月とにかく書ききって、
本格的な勉強を始める際には、
この人のblogを読んで学ばせていただこう、
と決めていました

そもそも、

〝まずはとにかく3ヶ月休まず書け!〟

というのもこの人の教えですしね


あ、順番が前後しましたが、
この人の肩書きは〝ウェブ・マーケター〟となっていますが、
まあ、ネットビジネスの一種でしょうかね
そのへんはまだ詳しく知りませんw



・このblogを読む(もちろん、そこからの実践含む)

・ちきりんさんなど、個人的に気になるbloggerさんの本などを読む

・いろんな人のblogを読む(そしてパクる!)

はてなブログ自体の勉強をする



というのがblogに関するお勉強の柱ですかね

もちろん、blogだけやってるわけにもいかないので、
少しずつですけどね
なので不定期更新なわけです


では、さっそく今日学んだこと


『「お金とは信用を数値化したもの」だと、知人から聞きました
「ブログで儲ける」的な話題が一世を風靡していますが、
なにか不自然さを感じていました

「ブログ」から「お金」に直接向かうのではなくて、まずは「信用」を蓄積して、
それから「お金」に向かうべきだと思います

× 「ブログ」⇒「お金」
○「ブログ」⇒「信用」⇒「お金」

です

世の中の多くのブログは、信用が蓄積される前に、すぐに現金化してしまっています
ショートカットしすぎているのです
マネタイズの方法もアフィリエイト広告だけでなく、書籍や電子書籍
コンサル業など、広く考えていくべきだと思います

目の前の、高々月数千円のアフィリエイト収入を選んでしまったために、
信用が蓄積されず、記事を書いても書いてもアクセス数は増えず、
収益も限定的……
そうこうしているうちに、
検索エンジンアルゴリズムソーシャルグラフデータを採用して、
順位が一気に下落して、
大量のアフィリエイトブログ難民が生まれることが、
近い将来起きると考えています』


昨日俺は

「アクセス数は最重要ではない気がする」

と言ってましたが、
もちろんここまで考えてたわけじゃないですよw

そりゃ一日数千とか数万のアクセスがあるようなblog、
憧れないわけではないですよ

どうせなら凄いことにしたい、
とはもちろん思います

しかし‥

現在の一日のアクセスは5~60まで波がある
その中でおそらく10人前後の方が、
定期的に読んでくださっていると思われます

これ、凄いことですよね

自分に共感してくれている人
親友とまで言ったら言い過ぎかもしれないけど、
それに近い人がこの3ヶ月で10人も増えた

十分ですね

自分と同じ方向を見て、
一緒に走ってくれる人と繋がっていく

という方針からは、
十分な成果です


以前にfacebookでちょこっと話したことがありますが、
傲慢に聞こえるかもしれないけど、

どんな記事を書けば票が集まりやすいか

は、感覚的になんとなくわかるんですね
こっそり実験させていただいたこともあったし
狙って書けば、数を稼ぐことはそんなに難しいことではないんです

ただ、その〝狙って〟をやってしまうと、
どうしても誠意という面で薄まってしまう

本当の意味で繋がりたい人たちと繋がっていくためには、
100人中10人しか共感してくれなくても、
〝飾らない記事〟を書いていくしかないんですよ

それは、blogでもfacebookでも同じこと


俺は出会い系サイトのサクラをしていたことがあるので、
それこそ

〝読ませるためだけのタイトル〟

とかを考えることはそんなに難しくない
でもそれをしても、
なかなか後には繋がりにくいんですね

ちょっと例えが違うかもしれないけど、
バラエティ番組を観ていて、
明らかにスポンサーのためにいやらしいCMの入り方とかされたら、
ムカつくでしょ?w

同じようなことです


テクニックをまったく使わないということではないけど、
基本はやっぱり誠意なんですよ

さっき奥さんと話してたんだけど、
中学までか高校までか、
はたまた社会に出るまでか

大多数の人は、そういうものを信じていたはずなんですよ

それがいつしか正直者はバカを見る、
みたいな考えに毒されていって、
帰って来れなくなる
大多数の人が

そこから戻って来て豊かになっている人たちを俺は知っているし、
一周まわってそういう人たちに巡り会えたことは本当に感謝ですね

なので、このスタイルを貫きます

ホリエモン的に言えば、〝ネクタイを締めない〟ってやつかな
(長いので説明は省くけど)


もちろんこういった方向で収入を得ていこうと考えているけど、
意識せずにこのかん吉さんが言っていることを少しはできていた、
というのは嬉しいことだよね

まあ、すぐ食っていけるような数ではないかもしれないけど、
まずは10人も信用してくれたんなら十分だ!



最後にもうひとつ引用

『ネットでも、
真剣に、真摯に取り組んだ者だけが信用される時代になってきたのだと思います
ネットとリアルが融合しつつあるということです』

まあ、そういうことです

では、
guts koporu takkaの

〝blogみたいなもの〟

でした~!w
 
 
 
 
 
 
 
という次第でございましたw
 
まあ、条件はクリアしてたからよかったものの、
結局書いちゃいましたね!
 
それだけ好きなことがあるってのは、
幸せなことでございます
 
それでは、
少しずつパワーアップする当ブログをお楽しみください
 
 
また次回!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Facebookではシェア機能を使ってリンクを貼っておりました、
 かん吉さんの『人気ブログの作り方』は、
 こちらではここに貼っておきますね
 

重大?発表をしにやって参りました

こんばんは!

 

日中の投稿をお読みになっていただいた方は、

多少気になっていたかと思います

重大?発表をしに参りました

 

guts koporu takkaです

 

 

もちろん、最終回のお知らせではありません

 

以下の文章はFacebook掲載予定のものなので、

一人称が俺になっていますが、

まあ気にしないでください

 

誰もしていないと思いますがw

 

 

 

 

8月26日に解説した新しいblog
 
ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで』
 
目標であった3ヶ月無休更新、達成です
読んでくださった皆さんのおかげです
ありがとうございます
 
継続日数 93日
投稿数 124本
述べアクセス数 1910
 
それまでふたつの音楽blogをやっていましたが、
せっかくアホみたいな量の読書ノートがあるんだから、
書籍紹介blogをやったら活かせるんじゃないか、
と考えました
 
自分にだけ響く言葉、と言うより
少なくとも同じ方向を向いている人になら届く言葉が、
たくさんあるんじゃないか、という気がしたので
 
と言っても当初は、
本の引用に絡めて駄文をちらほら、
くらいの意識でやっていました
 
しかしいろいろなことがあって、
途中〝読み手を考えた記事〟みたいなことを意識し過ぎて
さまよったりもしてw、
 
〝読んでくれる人がいることを心の片隅に置きながら、
 基本は自分の書きたいことを書く〟
 
というのが自分の執筆スタイルなんじゃないかと思い至りました
 
意識も〝読んでくれたらありがたい〟から(それはいまでもあるけど)、
〝自分の培ってきたものを伝える、教える〟
 
というように変わっていきました
 
サブタイトルも、
〝本のエッセンスと、駄文を少々〟(だったかな?)から変遷を経て、
〝読書ノートから、世界の本質をひも解く〟に落ち着いています
 
 
3ヶ月休みなく書く意味は、
すらすら書けなくなったときからが本当の勝負だからです
なのでビビッと来るネタがあろうがなかろうが、
まずは書くことが必要になります
俺はいま無職なので人より時間はありますが、
どんなに忙しくても携帯からでも短文でも投稿を続けました
 
俺はあまり書けなくなるってことはないほうなんですが、
それでも書くことがあまりないかな‥と思う日もあれば、
どんなに書くことが好きでも気が進まない日もあります
 
本来そういう日は黙って休めばいいんですが、
3ヶ月間だけは休まず書くと決めたのでとにかく書きました
 
おかげで、良いのか悪いのか、
いまでは寝ながらでも書けるような感じですw
 
 
特にきちんと勉強して書いていたわけではありませんが、
ここまでに色々な気づきがありました
 
書くことそのものに気づきを促す効果がありますが、
人の文章からエッセンスを盗み取ったり、
アドバイスを頂いたり、構成自体も変わりましたし、
当初は当然気になっていたアクセスも(いまでも気にはなるけどw)、
それ自体にあまり意味はないという感触をいまは持っています
 
なぜなら、どんなにアクセスが少ない日でも、
と言うより少ない日のほうが顕著にわかるのですが、
 
たとえばその日のアクセスが7しかないのに
シェアして頂いた数が7だった‥
 
それは、正直アクセスが60あった日よりも嬉しいことでした
 
自分の目指している方向性からしても、
これはとてもいい傾向です
感謝しかないですね
 
 
そして、
ここからはペースを落としてでもきっちりと勉強して
blog自体の質を高めたいので、
不定期更新とさせて頂きます
 
週に1本も書かない、とかはなるべくないようにしたいと思いますので、
当blogを気に入って頂いた方は、
どうぞこれかも
 
やってるかな?
 
と覗きに来て頂けたら幸いです
 
 
では、このへんにしておきましょう
最後にいま一度、
毎日、たまに、気が向いたとき、
読んでくださった皆様、
本当にありがとうございます
 
 
guts koporu takkaこと、
細畑孝幸でした
 
 
 
 
 
 
はい、以上が重大?発表のすべてでした
よそのメディアに掲載予定のものを貼るだけで終えるという
マンガ家さんで言えばコピー芸のようなものだけで終えるわけにも
いきませんので、
 
こちらのほうでも改めまして、
皆さん、
ありがとうございました
 
これからは当面勉強しながらの不定期投稿となりますが、
よろしければブログ名を覚えていただいて、
お暇なときに覗いてみてくださいね
 
少しずつ、質を上げていくことをお約束します
 
では失礼いたします
 
また次回!

いったいどこに存在するのか、証明された試しのない〝みんな〟

おはようございます!

 

本日はこの記事を書き終えた後、

重大?な発表があります

 

普通の女の子に戻ります、

とかそういうことではないのでご安心ください

 

 

あ、一見さんがいたら勘違いしちゃうか

 

男の子ですよ

 

guts koporu takkaです

 

 

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千田琢哉、学校で教わらなかった20代の辞書

 

 

 

 

そもそも選挙でいいんだろうか

 

『多数決に従うと、たいていは不幸を招く

(中略)
民主主義といえば聞こえはいいが、すこぶる業績のいい会社や、個人でも抜群の実績を残している人物は、常に少数派であることを忘れてはならない
(中略)
名経営者と言われる人は、全社的な方針を多数決などでは絶対に決断しない
多数決がいかに当てにならないのかは世の中を見れば明らかである
政治家は完全に多数決で選ばれた人たちだし、世界中で戦争を起こしているリーダーを選んだのも多数決に他ならない』

 

そうなんですよね

私は選挙にすら行っていなかった期間が長かったので逆に、

 

〝まずは選挙〟

 

という意識が先立ってしまいますが、

もしかしたらそれすら洗脳なんじゃないのかな、

と最近は思っています

長く

〝大衆を操作してきた〟

支持母体はそう簡単に揺らがないし、

国民総出で票固めゲームに付き合っているわけですからね

 

かと言ってじゃあどうする?と言われて簡単に代案も出ませんが、

 

〝選挙ありき〟

 

というのがまずひとつ目の洗脳なのかな、と

 

そして国への〝意思表示〟の方法としては、

可能な限り節税をして間違った考え方の根幹を揺らしに行く、

という方法もあります

 

このへんはまた後日最近読んだ本を交えてお話しますが、

中小企業やサラリーマン(個人)は特に、

勉強して税を払わない方向を目指す必要がありそうです

まあ、富裕層や大企業が節税してはいけないということではないんですが、

あまりにも税率が低く、

(もちろん表面的な数字ではなく、〝うまいこと〟やったうえで、です)

それより下の人たちが搾取されている構図ができあがっていますからね

 

本当は日本には、お金はあるんですよ

充分に

 

 

 

得るものより大きい、失うもの

 

『「辛い」という感情を忘れるな。「辛い」に慣れたら、ご臨終

毎日辛いことの連続であり、朝起きるのが苦痛である人は多い。でも、その辛さを乗り越えることができれば、きっと希望の光は見えてくると思い込んでいる人は多い
そんな人にそっと伝えたいことがある
「希望の光なんて見えてこない。単に感受性が麻痺してきて、辛さを辛さと感じる力が衰退してしまっただけ」であると
ほとんどのサラリーマンたちは、20代前半は活気に溢れて生意気盛りだったのが、20代も後半になると徐々に落ち着き始めて、すっかりお利口さんになってしまう。30代になるとすっかり老けこんでしまい、惨めなものだ
辛いことが麻痺して慣れてしまうことと、幸せを感じることはまったく違う
これを忘れたらおしまいだ』
 
 
以前に言ったことがありますね
いけるかも、と感じるならまだしも、
辛くて仕方がない職場にい続けても、
得るものより取り戻す苦労のほうが多いと
 
私も『石の上にも三年』とかそういった洗脳下にあったので、
人並みにはどの職場も〝踏ん張って〟きました
もちろん得られたことも多い
 
ただ、明らかに後から取り戻さなければならないもののほうが
大きかったと思います
 
誰のせいでもない、自分のせいなんですよ
 
私は極端なのでちょうどいい例になると思いますがw、
たとえば学卒で入った某大手パチンコ店
 
たいした就職活動もせずとんとん拍子で入社したはいいですが、
入った瞬間から拒絶反応がすごかった
なんとか1年間務めましたが、
ほぼ誰ともコミュニケーションを取りませんでした
 
これは大変迷惑をかけた話なので
そういう点でももっと早く辞めるべきでしたね
 
プライベートではそこそこに人とは話していたはずですが、
辞めてからしばらくの間
 
〝うまく人と話せなかった〟り、
 
コミュニケーション障害になりました
 
最近までいた営業の会社でも、
たった3ヶ月しかいなかったのに、
自分が〝違う〟と思ってからしばらく働いていただけで、
がっつりエネルギーを吸い取られて
〝戻って来る〟のに時間を要しました
 
骨身に沁みたというか、身体で理解しましたね
 
〝合わない仕事〟をしてはいけない
 
 
これを甘いと感じるか、
参考にしていただけるかはあなた次第です
 
ただ、これは自分で言ってることなので笑っていただいても結構ですが、
私はやると決めたことは
 
〝人並み以上に〟やりますよ
 
そのうえで言っていることだということを、
ご理解いただければ少しだけ感じ方が違うのかな、
と思います

 

 

 

 

一度でいいから全員連れてきてみてよ、あなたの言う〝みんな〟を

 

『「みんな」という口癖をなくせば、言い訳がなくなる

「みんなそうですよね」
「みんな言っています」
「みんなもやっていますよ」
という「みんな」発言はすべて学生言葉だから、金輪際口にするのをやめよう
「みんな」なんて、どこにもいない
「みんな」なんて、顔が見えない
「みんな」という言葉を口にすると、頭が悪くなる。それで思考がストップしてしまうからだ
これは努力らしい努力をしていない弱者が、抽象的でこの世に存在しない得体の知れない力を借りて、相手よりも優位に立とうとしているに過ぎない
率直に申し上げて、かなり卑怯な手口である
「みんな」という言葉で脅されたら、ニッコリ笑ってすかさずにこう切り返してみよう
「ところで具体的に誰?最低100人はいるだろ?」』
 
 
最近生まれたばかりの我が子に、
山のような
 
〝ワクチン接種の案内〟
 
が送られてきました
 
不勉強ながら直感だけはやたら鋭い私は、
ビンビンにやばいものを感じました
 
いえ、〝直感〟ではなく〝直観〟ですね
霊的なやつではなく、生きてきた感です
 
すぐにまずはネットで調べましたが、
皆さんも私も御用達、
 
ヤフー知恵袋〟的なのをまずは見ましたよ
gooだったかな?
 
そしたら肯定派と否定派(と言うよりは懐疑派かな)がいましたが、
肯定派の人ははっきり言って気持ち悪かったです
 
我が子を想う気持ちは感じたし、
私に偏った見方がまったくないとは言いません
否定から入っていますからね
 
ただ、肯定派の人はたいてい
〝みんな〟という言葉を使います
みんなって、誰なんですかね?
 
そしてよくわからない
〝事実のようなもの〟を乱発して、
なぜか勢いがもの凄いのです
押し切ろうとしているんでしょうね
 
対して否定派の方は
(この時点で他のサイト等の情報も入りますが)
きちんと理論立てて説明しており、
 
〝自分なりに調べたんだな〟ということが伺えました
 
はっきり言ってワクチンというものに効果はないと思っています
Facebookで内海聡(うつみさとる)さんという方がよくそのへんの発言を
していらっしゃいますので、
読んでみてはいかがでしょうか
 
私も子供にはワクチン接種をさせない方向ですので、
今後はワクチン否定派と肯定派に偏りなく本を読んで勉強していきたいと
思っています

 

 

 

ではこのへんで

今日中に未分類でもうひとつ記事を投稿しますので、

もしよろしければ気にしておいてください

 

以下に読書ノートを貼っておきます

 

 

『思い返せば、20代は挫折の連続だった。形にできたことが何も思い出せない

それでも何とかやってこられたのは、支えてくれた言葉があったからだ
言葉を知らない人より言葉をたくさん知っている人のほうが強い
言葉をたくさん知っているだけの人より、言葉の解釈をたくさん考えた人のほうが、もっと強い
どんな壁でも突破できるというのは本当だろうか
不屈の精神力を持ってさえいれば、いずれ夢は叶うのだろうか
それは人によるから、わからない。ただ、こうは断言できる
過去の自分ならとっくに逃げだしていただろう壁を、今の自分なら怯むことなく立ち向かって挑んでいけるようにはなれる、と
それに必要なのは、生まれつきの頭脳でもなければ体力でも容姿でもない。誰もが後天的に身につけることができるもの
それは、語彙力である
語彙力とその人の精神力は比例する。もうダメだと退散しようとした時に唯一支えてくれるのは言葉の力なのだ
多くの言葉を知っていれば、それだけ多くの壁を突破しやすい。そして、それらの言葉の解釈力を自分で拡げていくことである
受験勉強では、試験に出る英単語として辞書の1番目や2番目を丸暗記していくことが正解だった。そうした努力も必要だ
ただ、社会人になってからは、辞書の3番目や4番目以降こその解釈がより大切になってくる
多くの言葉を知ることは大切だが、その一つひとつの言葉の解釈を自分で拡げていくことによって、確実に強靭な精神力を身につけていくことができる。同時に、やさしくなれる
言葉に関心を持って、その言葉の解釈力を磨いていく方法は簡単だ。そして、楽しい
「え!?そんな考え方もありなの?」という今まで見たことのない別の角度から光を当てたものに触れることである
驚くことは快感だ。驚くと、関心を持って、気づくことができる。気づくことができることこそが、自分を拡げていくことに他ならない
本書は、模範解答集ではない。模範解答をつくるのは、読者自身である。100人いたら、100通りの模範解答があるはずだ。本書はそのきっかけづくりに過ぎない
どんどん汚して、どんどん進化させて、自分を拡げていってほしい。そして、昨日の自分より強くなってほしい
人はそのために生まれてきたのだから』
 
 
『若い頃こそ、身だしなみには気を遣ったほうがいい
粋なブランドスーツで身を固めろという意味ではない。そんなお金があるくらいなら、就職活動の使い古しでもいいから毎日ワイシャツをクリーニング仕立てにして、ズボンプレスをきちんとかけて刃物のように鋭いラインをつくっておくことだ
必ずしもブランド品の靴を履く必要はない。そんなお金があるくらいなら、靴磨きセットやシューキーパーを揃えて毎日靴を脱いだ後にきちんと手入れをする習慣をつけておくことだ
ワイシャツは10枚、靴は5足揃えて毎日リレー形式に回転させるだけで美しいまま何倍も長持ちさせることができる
いざとなったとき、身につけているものが心の支えになってくれる』
 
 
『眉間にしわを寄せて「難しい」と言わず、目をキラキラさせながら「面白い」と言おう
大半のサラリーマンは腕を組みながら、「この問題は難しい」と言って、ウンウン唸りながら眉間にしわを寄せて悦に入っている
もちろん賢明な読者ならすでにお気づきのように、考えているふりをしながら、実際には何も考えておらず、暇だからごまかしているだけの話だ
それがまた、その組織のリーダーである比率が高いから始末に負えない。社長の口癖が「この問題は難しい」だったとしたら、悪いことは言わない。その会社の未来はないから転職したほうがいいだろう
「この問題は難しい」と口にした瞬間から、その問題は難しくなる
世の中の共通点として、簡単に見える問題が本当は難しくて、複雑そうに見える問題は面白いだけだ』
 
 
『辞めた人は、始めた人だ
会社を辞める。サークル活動を辞める。資格試験の勉強を辞める
辞めるのは逃げることではない。辞めることを恐れて何も始めないことが、逃げることである
「三日坊主」という言葉がある。「三日坊主」になるためには、まず始めなければならない
始めてもいない人間が、「アイツは何をやっても三日坊主だ」と笑うことができるだろうか。できるはずがない
「三日坊主」というのは、始めた勇気のある人だけに捧げられた称号なのだ。どんどん挑戦して、三日坊主になろう
三日坊主だけで100のコレクションをつくれば、それだけで必ず大物になることができる
気がついたら、ついうっかり10年間続けてしまうかもしれない』
 
 
『10年後の成長が、最高のリターン
20代のうちからリターンを過剰に意識し過ぎたら、逆に成長を遅らせることになる。20代で本当に必要なのは、成功ではなくて成長だ
成功というのは目標を達成したその瞬間から過去形になるが、成長とは常に未来に向かっている。ベクトルがまったく逆なのだ
成功したらつまらない。成功したかどうかの判断なんて、傍観者たちに勝手にさせておけばいい
未来をクリエイトしていく20代は、成長にこだわる
「ハイリスク・ノーリターン」大いに結構。リスクに対するリターンは、必ず福利で雪だるま式に跳ね返ってくる瞬間がある
傍観者たちは歯ぎしりをしながらこう言うだろう
「アイツは運がよかっただけだ」と』
 
 
『 相手に情報を伝える際には、いつも「結論(ひと言)」→「理由(ひと言)」→「具体例」の順番で話すことだ 』
 
 
『雄と雌の一体化からは、子孫が生まれる
A or B(Aにするか、Bにするか)の選択肢で行き詰まっているビジネスパーソンは世の中に多い。迷った挙句に、最後に多数決で決めてしまう会社もあるくらいだから始末に負えない
そんな馬鹿げたことにならないように、第三の選択肢としてA and B(AもBも)という選択肢を新しく加えてほしいのだ。とてつもないアイデアに昇華して、まったく新しいものが世に生み出されることがある
対極のものを一体化させるという意味においては、「静と動」「強と弱」「黒と白」「天と地」「雄と雌」などの一体化がある
最後の雄と雌の一体化からは、子孫が生まれる
和洋折衷という人類の知恵も、一見すると対極のものを一体化させた結果だ』
 
 
『本当は面白くないのに、卑屈に笑うな
笑うことは、大切だ
笑顔は、大切だ
あなたは、これらが反論の余地がない正論だと思い込んでいるだろう
だが、私は必ずしもそうは思わない
20代で、そんなに笑うことが大切だとはどうしても思えないからだ
20代で、そんなに笑うようなことがたくさんあった記憶がないからだ
「青春を謳歌する」という日本語があるが、果たして青春を謳歌できた人間がそんなにいるのだろうか。にわかには、信じがたい
汗臭くて泥まみれで挫折だらけの暗い青春があってもいいし、何ひとつ上手くいかずに戦意むき出しの引きつった顔の20代がいてもいいではないか
私は本気で思っている
本心からニッコリ笑えるのは、死ぬ間際でいいと』
 
 
『気づくということは、何気ない現象を見て「ん?」と感じることだ
「ん?」の数が人生を決める』
 
 
ではまた次回!