ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

先生、チャーチル君があきらめちゃダメだって言ってます!

『だが、それでも諦めるわけにはいかない
将来に何の展望もないときこそ、どこまで踏ん張れるかで、本当の強さが試される』

 

『皆さんは、諦めが早すぎる
心臓が鼓動を止める、まさにその瞬間まで、逆転する方策を探し求める
それが、生物としての本分です』

 

『想像力こそが、すべてを変える』

 

貴志祐介新世界より 下巻

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こんにちわ。いつもあなたのとなりに、guts koporu takkaです

そこはかとなく気持ち悪いですね

guts koporu takkaです

 

この本は職場の同僚にわりと激しめに勧められて読んだのですが、おもしろかったですね

ネズミのような容貌をした新人類?と人類の攻防、みたいな内容じゃなかったかなあ

そこにサイキック(思念的な特殊能力)なんかが絡んできて、非常にエンターテインされた記憶があります

貴志祐介さんは高校生くらいのときに『青の炎』というかなりやるせない終わり方をする作品を読んで以来、惹かれる作家さんです

以前に

サイコパスと、0時以降の迷惑電話 - ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

という記事で紹介したことがありますね

 

 

だが、それでも諦めるわけにはいかない
将来に何の展望もないときこそ、どこまで踏ん張れるかで、本当の強さが試される』

 

皆さんは、諦めが早すぎる
心臓が鼓動を止める、まさにその瞬間まで、逆転する方策を探し求める
それが、生物としての本分です』

 

偉大な功績を残した人たちが、共通して言っていること

それは、〝あきらめるな〟ということです

安西先生も言っていましたねw

 

ウィンストン・チャーチル(エゲレスの昔の首相さん)なんかは、

『決して、あきらめるな。絶対に、絶対に、絶対にだ』

と3回も言っちゃってます

どれだけあきらめてはいけないかが、伝わりますよね

なにも難しいことではないんですけどね

というよりも、自分が欲しいもの、手に入れたいなにかをあきらめられることのほうがわたしには不思議です

 

あきらめるという選択には、いろんなパターンがあると思います

まずは、やるだけやって、別の選択肢が見えたパターン

これはわりとあきらめていいと思います

というのも、〝実際に明確に次が見えた場合〟と〝自分の才能に限界を感じた場合〟があると思うのですが、前者の場合はそのまんま、後者にしても、一見悲観的な感じはしますが、当人としては実はもうすでに他にやりたいことが芽生えてきている、というだけのことだと思うのです

なので、まあ人間はめんどくさいのであれこれ言葉は弄しながらもちゃっちゃと次に移ればいいと思います

ふてくされている時間というのは、〝死人のような〟ではなく実際に死人ですからね

 

次は、生活のために仕方なく‥パターン

別に誰をフォローする必要もないのでズバッといきますが、ただの言い訳です

あなたがそれでいいならいいですが、少なくともそこから出る負のオーラで、他人の気を滅入らせたりしないようにしましょう

足を引っ張るなんて論外です。そんなこと言っても無駄な場合が多いので、こういう人とはなるべく意識的に距離を置くしかないんですけどね

 

続いて、家族のために‥パターン

迷惑です、すぐにやめてください

あなたは自分の人生を犠牲にした代償を、無意識に家族に求めていくようになるでしょう

誰のために苦労してると思ってんだ、こんなに俺が(私が)苦労してるのにどうしてお前は、えとせとらえとせとら‥

自分も幸せにしてやれない人間が、他人を幸せになんてできませんから

そもそもが、他人を幸せにしてあげられるなんていう発想がおごりです

過程と結果の話と同じで、自分が本当にしたいこと、やるべきことをやった結果、家族が幸せを感じていてくれたらラッキー、くらいの気持ちでいいと思います

少なくとも、薄気味悪いどんよりとしたオーラは晴れると思いますよ

 

 

と、ここまで書きましたが、他にもいろいろパターンはあると思います

誰に対して言ってるわけでもないのでわりとぶった切ってきましたが、実際にはそれぞれに簡単ではない葛藤、決断し切れない要素がたくさんあると思います

おおまかに言っていますが、個々の事情を詳しく描写すれば、もっとリアルでやるせない背景が浮き出てくるでしょう

あなたの優しさが、あきらめるという決断をさせることもあるかもしれません

しかしこれだけは覚えておいてください

それは、優しさではないんです

繰り返しになりますが、それはいつか必ず無意識に、その代償をなにかに、多くの場合身近な人たちに求めて‥いえ、強いていく結果になります

多くの人はなにかを理由にあきらめを選び、不幸になっていきます

不幸になった人は、必ず人を巻きこみます

「そんなの無理だよ」、と

「やめたほうがいいよ」、と

〝自分の側に〟引っ張りこもうとします

あきらめなかった人は、誰かが前向きに挑戦しようとしているときに、それを遮るようなことは言わないものです

誰かを幸せにできるかはわからなくても、少なくとも、エネルギッシュで、輝いている存在から人は生きる力をもらいます

そのエナジーは、あきらめからは生まれません

 

『想像力こそが、すべてを変える』

 

想像するんですよ、どうすればあきらめずに進めるのかを

創造するわけです、あきらめずに生きる道を

魂が、輝く道を

 

 

ちなみに、あきらめと方向転換は違いますから、「あ、これはやっぱ違うな」と直観した場合は逆に可能な限りはやく〝あきらめたほうがいい〟ことは言うまでもありません

あきらめるって言わないけどねw

そういった場合は負のオーラは出ないし、あなたが思うほど誰もあなたに注目はしていませんから、三日坊主でも気にせずスッとやめてくださいw

 

では、このへんで

バイバイ!