軌跡を覗いて、奇跡に出会う
『裏切られないという確信、それが世界に満ちてさえいれば、麻薬も銃も要らなくなるのに』
『私はただ、今欲しいものが欲しい』
『こんなものなのだ。お前は。大声でそう叫んでやりたかった。徹底的に相手を罵倒し、うち倒したかった
相手の一切の精神を否定し、その気位も幸福感も全て、どろどろの暴力で真っ黒に塗りつぶしてやりたかった
そうすべきだったし、そうすること以外に何も思いつかなかった』
『人間は天使になろうとすると悪魔になる』
『やたらと他と離れるのは、孤立であって自立ではない』
『自分の荷物を、正面からみてみよう
自分の苦しみをもっとまっすぐに体験してみようとすると、いままで見えなかったものが姿をあらわしてくる
それが創造の病。病気(身体的・精神的)、事故、失敗、災難の受け止め方によって、創造の病に変化
そのためには、〝意味の発見〟と〝自分自身の掘り下げ(反省とは別)〟が必要。単なる反省を突き破って自らを掘り下げなければならない
それによって(バネにして)、人生が豊かに。マイナスがプラスに。創造が生まれる
エレンベルガー』
河合隼雄、対話する人間
なぜこの2冊を同時に持ってきたのか
と言うよりも、この2冊がノートの中で連なる流れにあったことは私も不思議です
というのも、当時はかなりランダムに本を読んでいたのでけっして意識してこの2冊を続けて読んだわけではありません
にも関わらずこの並びというのは、もうなにか大きな〝流れ〟の中のできごと、としか言いようがありませんね
『こんなものなのだ。お前は。大声でそう叫んでやりたかった。徹底的に相手を罵倒し、うち倒したかった
相手の一切の精神を否定し、その気位も幸福感も全て、どろどろの暴力で真っ黒に塗りつぶしてやりたかった
そうすべきだったし、そうすること以外に何も思いつかなかった』
一冊目の『マルドゥック・スクランブル』のこのセンテンス
これは、以前に
アルボムッレ・スマナサーラって、帰化したらどういう漢字になるんだろう? - ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで
という記事で書いた、自分を傷つける者を徹底的に潰してやりたい、という感情そのものです
この文章に出会ったとき、過去の自分が目の前に現れたような錯覚を覚えました
そして、激しく心を揺さぶられました
私はすでに、自らの手で破壊した人生の、その後を生きていたからです
もう少し早くこの文章に出会っていたら、なにかが違ったかもしれない
そんな思いに駆られたのかもしれません
もう、おぼろげにしか覚えていませんけどね
その後に読んだ心理療法士、河合隼雄さんの本の、ここ
『自分の荷物を、正面からみてみよう
自分の苦しみをもっとまっすぐに体験してみようとすると、いままで見えなかったものが姿をあらわしてくる
それが創造の病。病気(身体的・精神的)、事故、失敗、災難の受け止め方によって、創造の病に変化
そのためには、〝意味の発見〟と〝自分自身の掘り下げ(反省とは別)〟が必要。単なる反省を突き破って自らを掘り下げなければならない
それによって(バネにして)、人生が豊かに。マイナスがプラスに。創造が生まれる
エレンベルガー』
これによって当時すごく救われた、というような記憶はないけども、この二つのセンテンスが近い場所に書かれていたのは、なにかを感じざるを得ないんですよね
すごく私的な話で申し訳ないですが
ああ、少しは本の紹介もしておきましょうか
『マルドゥック・スクランブル』はSFライトノベル
著者の冲方丁(うぶかたとう)さんは、いまやわりと有名なんで知ってる人は知ってるのではないですかね
数日前に奥さんに対するDV容疑で逮捕されましたが、そっちの話ではなくてね
ハルキと親交があるだけあって、ただの心理療法士さんではない(と言ってもそんなに比較対象を知らないけれど)雰囲気です
なんというか押しつけがましさがなくて、本質をえぐってくるというかね
河合さんに関してはすでに亡くなっていますが、いまのところ二人ともハズレの本にあたったことがないので、オススメと言えばオススメです
興味があれば、ぜひ
ではこのへんで
バイバイ!