ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

生まれてきたこと。それだけであなたは誰かの役に立っている

こんばんは

今日はちょっと珍しく?

お怒りモードの

guts koporu takkaです

 

函館市には

『ヤングファミリー制度』

という、

一定の地区に住んでいると家賃の助成が受けられる制度があります

 

端的に言うと、

条件が細か過ぎ!

 

不動産会社に行って面積を証明するものを取ってこいだとか、

現住所の前にどれだけ住んでいて、

いまの家にはどれだけ住んでいて‥

とか

 

まるで補助を受けてほしくないみたい

 

その地区に定住してほしいっていうのが、

趣旨なはずなんですけどね?

 

税金ですから、

少しでも早く補助を受けなくてもいいようになって、

他の必要としている人のところに流れてほしい

 

そういう思いはありますが、

単純にこの制度自体を評価するなら‥

 

仕事のできない人の仕事ですね

 

さすがお役所、って言いたくなりそうです

 

 

f:id:c-b-a-from466:20151108215552j:plain

 

 

取り乱してしまいました

改めまして、

guts koporu takkaです

 

その制度も、

もちろん名前からお察しのとおり、

〝ファミリー〟を構成していることが要件なわけです

 

と言っても、

コルレオーネ・ファミリーだとか、

小室ファミリーだとか、

そういった人たちは対象外だと思います

 

一般的な家族です

 

つまり、

子どもが生まれたんで申請しに行ってきたんですね

 

 

 

もちろん、あなたの所有物ではありません

 

『ある五歳の男の子は、人生の意味を、

シンプルで美しい言葉で語っています
「ぼくは、『お母さん、だいすき』って言うために生まれてきたんだよ」
私たちはみんな、自ら生まれることを選んだこの世界を、
心から愛しているのではないでしょうか
愛を思い出して、人生を輝かせること
そして、幸せに生きること
私たちには、そんな生きかたができるはずです』
 
本書のなかでは、
子どもが生まれてくる目的には、
ふたつの段階があると言っています
 
最初は、
お母さんやお父さんのため
 
つまり、
この引用を想像するなら、
少し寂しい思いをして生きてきたお母さんに、
大好きだよ、
と言うために生まれてきたということなのかもしれないですね
 
他にも、
この人たちは僕が生まれなきゃ離れてしまう、
とかいろいろあるのでしょう
 
 
次の段階は、
自分の人生を生きるため
 
これ、昔の日本なんかは15歳くらいで元服
つまり一人前の大人ってことになったんですよね?
詳しくないですが
 
ところが現代ではあまりその年齢で、
少なくとも経済的に自立している子どもは少ないですよね
 
けれど精神的には
11歳~16歳くらいでこの段階を迎えるため、
精神的には大人になっているのに
扱いは子どものままで、苦しむ子どもがけっこういるそうです
なので、
きちんとそれを頭に入れておいて、
わがまま放題させるとかではないけれど、
ひとりの大人として扱ってあげることが大切なんですね
 
というより、
前世ではあなたのおばあちゃんだったかもしれない
親友だったかもしれない
先生だったかもしれない
 
そういう魂がまた別な目的をもってこの世界に
生まれ落ちてきたわけですから、
もう生まれた段階で
ひとりの男性として
または女性として、
扱ってあげることが大切なのではないでしょうか
 
 
 
一種のゴーストライティング?
 
『子どもたちの語る内容は細かい点は違っていても、だいたいのイメージは共通しているのです
それは、生まれる前は雲や空の上にいて、何人かの友だちとのんびり過ごしていた、というものです
その世界は平和で穏やかで、神さまや天使や妖精たちが住んでいます
そしてふさわしい時期がくると、どのお母さんのもとに生まれるかを決めて、
トンネルやはしごを通っておなかの中に入るというのです
興味深いことに、子どもたちの話によると、
私たちは自ら望んでこのしばしば困難な世界に生まれてきているようです
しかも子どもたちは、どのお母さんのもとに生まれるか、
つまり家庭環境や社会といった生まれ落ちる環境さえ、自ら選んできたと述べているのです』
 
 
『生まれる前の記憶といっても、大きく四種類に分けることができます
それは、胎内記憶、誕生記憶、中間生の記憶、過去生の記憶です
胎内記憶というのは、文字通りお母さんのおなかの中にいたときの記憶であり、
誕生記憶とは分娩時の記憶、過去生の記憶とは、いわゆる前世の記憶です
中間生という言葉は聞き慣れないかもしれませんが、輪廻転生を繰り返す中で、
一つの人生から次の人生に生まれ変わるまでの期間を指します
つまり、死後の世界であると同時に、お母さんのおなかに宿る前の世界ということになります』
 
 
個人的な人生のタイミングとして、
まあもちろん子どもが生まれたあたりが大きいですが、
命の循環、
人生の意味、
死後の世界
 
果ては宇宙の仕組みに関して、
主体的に調べ始めたのですが、
このへんは多くの、
表面上は異なった書籍にも、
共通して出てくるような見解ですよね
 
すべてを選んで生まれてくる
最近知人に聞いた話によると、
名前さえも選んで生まれてくるらしいですね
 
うちの娘は
 
こみつ
 
と言いますが、
わりと想像通りの反応をされます
 
そんなめずらしい名前ですら、
 
「こ‥‥み‥つ」
 
と雲の上から娘に操られて決めたんでしょうかね?w
それはそれでおもしろいな、とは思いますけど
 
 
 
では、今日はこのあたりにしておきましょうか
 
以下に、読書ノートの残りを貼っておきます
 
『流産や死産の後、亡くなった赤ちゃんの存在を身近に感じて、
「赤ちゃんがにこにこ笑っていて、幸せそうに遊んでいるイメージが浮かぶんです
私はこんなに悲しいのに、どうしてでしょうか」
というお母さんは、たくさんいます
赤ちゃんは、おなかに宿れただけでこのうえなく嬉しいのです
その心を、お母さんに感じとってもらいたいのかもしれません
悲しみから癒され、喜びを感じることを、赤ちゃんへの裏切りのように思うお母さんもいるようです
けれど、「悲しみと共に生きればいい」という言葉は、優しく聞こえますが、
赤ちゃんが本当に望んでいることとは違うはずです
赤ちゃんは、お母さんにメッセージを受けとってもらいたいのです
このお母さんならわかってくれると信じて、命をかけてこの世にやってきたのですから、
どうかその期待に応えてあげてほしいと思います』
 
 
『どんなたましいも、雲の上の世界で光とともに遊んでいたときは、汚れを知りませんでした
しかし、地上に生まれ、心を偽ったり、人を苦しませたりするうちに、
たましいは曇っていきます
しかし、それは決して否定すべきことではなく、むしろそのプロセスそのものに、
人生の意味があるような気がします
おそらく、はじめから完璧に光り輝いているたましいは、
わざわざ人間として生まれてくる必要はないのです
けれど、もっと輝きたいたましいは、肉体をまとうことでいったん曇り、
磨くことによってその汚れをとり、また曇っては汚れをとり……
というプロセスを重ねることで、最初はかすかだった輝きを、
どんどん増していこうとするのだと思います
つまり、矛盾しているようですが、大きく光り輝くためには、いったん曇らなくてはならないのです
それはちょうど、鏡を磨くとき、息を吹きかけて曇らせるのと似ているかもしれません
悪人正機(しょうき)説を唱えた親鸞のように、
悪人や社会のつまはじき者こそ救いに近い場所にいると説いた宗教者は、たくさんいました
それはおそらく、曇りが深い人ほど、
磨ききったときにみごとに輝くことを知っていたからでしょう
小さい悪しか知らない人は、あまり曇っていないがゆえに、
どれほど磨いてもしょせん小さな輝きしか得られないのかもしれません
ただし、大いに曇ったまま終わるのか、
それとも目覚めて本当に輝き始めるのか、という課題は残っています
そしてたましいを磨くのは、本人だけができることです
周りの人が何をいってもむだで、自分自身で気づくしかありません』
 
 
『「人の役に立つ」ことには、もっと深い秘密があることにも気づかなくてはなりません
つまり、究極的には、私たちはただ生きているだけで、誰かの役に立っているのです
人の役に立つには、どんな自分でなければならないとか、
何かを達成しなければならないとかいうことは、決してありません
若者の中には、どう生きていったらいいかわからずに、引きこもっている人も多くいます
生きがいを見つけたいと思っても、焦るばかりで、まったく行動にうつせず、
苦しんでいるのです
そんなふうに人生の目的がわからないという人は、
生きていることじたいに意味があることに気づいていません
けれど本当は、どんな人でも、誕生したというただそれだけで、
お母さんの役に立っているのです
赤ちゃんが生まれたとき、お母さんは感動したはずですし、
その感動はお母さんのたましいに輝きを添えてくれたはずです』
 
 
バイバイ!