ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

自分であって、自分の延長ではないもの

『歌を作っている最中、その彼(彼女)はもはや日常生活を行っている、日常の人間ではない

現実とは別の宇宙を持っている和歌の世界に近づこうとし、そのあげくに引き寄せられて、普段とは別の人格に変化している
和歌的世界の理想に導かれて、本書にいう、儀礼的空間の中で演技するよう求められる』
 
 
渡部泰明、和歌とは何か

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こんばんは

今日、奥さんの検診で、出産予定日は3日後なんですが、なぜか前回より我が子は落ち着いているようですw

両親に似て、マイペースな娘なようですね

 

guts koporu takkaです

 

 

 

『歌を作っている最中、その彼(彼女)はもはや日常生活を行っている、日常の人間ではない

現実とは別の宇宙を持っている和歌の世界に近づこうとし、そのあげくに引き寄せられて、普段とは別の人格に変化している
和歌的世界の理想に導かれて、本書にいう、儀礼的空間の中で演技するよう求められる』
 
さてさて、これは、なにかリリックを書いたりするヒントになれば、という感じで読んだ本だったと思います
単純に興味もありましたしね
別に和歌がしたいわけではなかったけど
 
和歌と触れているとき、非日常とつながり、別な宇宙を垣間見ている‥
 
これは、音楽を聴いたり、本を読んだりしていてもそうですよね
まあ、この場合は音楽のほうがわかりやすいかな
 
非日常というか、あきらかに自分とは〝別な〟宇宙に触れる体験をするわけです
それを自分のなかに流し込んで‥
 
イメージのなかで遊ぶ
別に無理やりカタチにしようとしなくてもいい
〝それ〟が求めるがままに頭の中で遊んでもらい、そして身体は動き出す
 
だから、わたしは、なにかダンスをやってみたいなあ、と思ったことはあるけど、音楽を聴いて踊るとき、必ずしも〝ダンス経験〟が必要だなんて思ったことはないですね
 
そういう感覚をわかったうえでならいろんなダンスの要素がプラスになるかもしれないけど、最初から〝規定の〟ダンスで入ろうとすると、かえって邪魔になるんじゃないのかな
まあ、わたしはそろそろタコ踊りも飽きてきたんで、なにかダンスの要素を取り入れたいな、と思ってましたがw
思いっきり民族的なのがいいなあ‥
 
 
これはplayするときもそうですよね
別にキチガイを演じる必要はないけども、別のなにかに〝トランス〟する必要はある
 
自分であって、自分の延長線上ではないものに
 
演技と言えば、演技なのかな?
少し違う気もするけど
 
 
なんだか、長嶋監督
『バーンと来たらカーンと打つんだよ』
みたいなノリになってきたのでこのへんでやめておきますかw
 
バイバイ!