ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで

読書ノートから、世界の本質をひも解く

君が目を閉じさえしなければ、いつだって武士道は見えている

『真に勇敢なる人は常に沈着である。彼は決して驚愕に襲われず、何ものも彼の精神の平静を紊(みだ)さない

激しき戦闘の最中にも彼は平静であり、大事変の最中にありても彼は心の平静を保つ
地震も彼を震わず、彼は嵐を見て笑う
危険もしくは死の脅威に面しても沈着を失わざる者、例えば差し迫る危険のもとに詩を誦(よ)み、死に直面して歌を吟ずる者、かかる人は真に偉大なる人物として吾人の賞嘆するところであり、その筆蹟もしくは声音従容(しょうよう)としてなんら平生(へいぜい)と異なるところなきは、心の大なることの何よりの証拠である
吾人はこれを〝余裕〟と呼ぶ。それは屈託せず、混雑せず、さらに多くをいるる余地ある心である』
 
『山を越ゆる
道、その上に立つ者は、これが道かと疑うばかりである
されど野より眺むれば、麓より頂までその線明らかにして紛(まご)うべくもない!
切れ目なくつづく荒野より、一つ二つの切れ目が見ゆるとも何か?
しかしてもし(新しき哲理を入れんに)切れ目そのものが人の目を訓練して信仰の何たるやを教うる、最も完(まった)き計企(たくらみ)たることを終(つい)に知れば如何(いかん)?』
 
新渡戸稲造、武士道

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こんばんは

apple careって以外にすぐつながるんですね?

トータルで1時間オーバーという尋常じゃない段取りの悪さでしたが、それでも気分をあまり害していないのでオペレーターのコミュニケーション能力?はなかなかのものだたな、と思いました

あとは対応力をもうちょっと上げてくれれば‥

 

おっと、guts koporu takkaです

 

 

自分がいま立っている大地の確認と共有

 

『真に勇敢なる人は常に沈着である。彼は決して驚愕に襲われず、何ものも彼の精神の平静を紊(みだ)さない

激しき戦闘の最中にも彼は平静であり、大事変の最中にありても彼は心の平静を保つ
地震も彼を震わず、彼は嵐を見て笑う』
 
決して驚愕に襲われないってのは、もちろん何にも驚かないってのはある意味つまらないことのように思えますが、〝目の前のことに一喜一憂しない〟だったり、なにごとも〝喜びすぎない、悲しみすぎない〟というような解釈の仕方をするとすれば、なるほど重要だな、と思いますよね
たとえばわたしも先月の終わりにこうして新しいブログを立ち上げましたが、ついつい目先のアクセス数を気にしたりしてしまいます
読んでいただいているだけでありがたいですが、数はまだまだ微々たるものです
そして、いろんな種類の本を放ってみたので、どういう本、どういう記事がわりとアクセスだったりシェアをしていただきやすいのかもなんとなくわかってはいます
 
しかし、冷静に先を考えたとき、本当にいま重要なところはそこじゃない
ここからはその理由や経緯は割愛させていただくので理解しきれない部分もあるかと思いますが、いま必要なこと。それは、
 
・3ヶ月間、とにかくいちにち最低1本は記事を書くこと
 
・〝おもしろい記事〟を意識しすぎるのではなく、まずは自分の思考を整理、展開していくことに特化して取り組む
 
まずはこのふたつが重要事項だと思っています
そのうえで、少しずつさまざまな面から向上させていく、という方向性でやっています
やっぱりアクセスは気になりますけどねw
しかし、ああ、この記事も読んでくれた人がいるんだな、ということが確認できるだけで十分励みになっています
この場を借りて改めてお礼を申し上げます
 
 
 
線のように麓から頂きまで。武士道はいつだってクリアに
 
『激しき戦闘の最中にも彼は平静であり、大事変の最中にありても彼は心の平静を保つ
地震も彼を震わず、彼は嵐を見て笑う』
 
追いこまれたときこそ真価が発揮されるってのは、ほんとのことですよね
わたしも自分でよくあの状況であれだけやれたなと思うときもあれば、あれ、前はもっとこんな状況で余裕をもてたはずなんだけどな‥と自分に失望しそうになることもあります
しかし、しんどいとき、追いこまれたときは誰だってきついわけですからね。あたりまえですけど
そのなかでどれだけ余裕をもてるのかで違いが出てくるってのは、ものすごくシンプルでわかりやすい真理ですよね
 
 
さすがにピンチのなかで歌を詠むってのはなかなかすごいな、とは思いますがw、
吾人はこれを〝余裕〟と呼ぶ。それは屈託せず、混雑せず、さらに多くをいるる余地ある心である
ということ
余裕があれば、より多くのことを受け止められる
そう考えたら、ワクワクしてきますよね!
 
 
 
『山を越ゆる
道、その上に立つ者は、これが道かと疑うばかりである
されど野より眺むれば、麓より頂までその線明らかにして紛(まご)うべくもない!
切れ目なくつづく荒野より、一つ二つの切れ目が見ゆるとも何か?
しかしてもし(新しき哲理を入れんに)切れ目そのものが人の目を訓練して信仰の何たるやを教うる、最も完(まった)き計企(たくらみ)たることを終(つい)に知れば如何(いかん)?』
 
ふだんは、いまが〝自分のゴールにつながる地続きの道〟だってことすら忘れていたりする
しかし、一歩引いた目で自分の人生を俯瞰(ふかん)的に眺めてみれば、それがすごく意味のあるつながりをしていることに気づく
 
道が途切れて見えるようなこともあるけれど、それがなんだというのか?
むしろその切れ目に見えるところが、新しい世界の扉を開けるためのターニングポイントなんじゃないの?ってところですよね
 
最も完(まった)き計企(たくらみ)
運命という言い方をするとなんだかあれだけども、それはすべて〝計画された必然〟なわけだから
恐れず進めよ、行けばわかるさ、と
 
 
ここまで書いてあれですけど、新渡戸稲造がなにをした人なのかはいまいち知らないんですよねw
それこそ五千円の人だなってくらいで
しかしそれだけの存在感を放っていた人が、たどり着いていた場所をかいま見ることができただけでこの本は素晴らしいですね
本を読むってのは本当に楽しい!
 
ではこのへんで
バイバイ!