100%悪意はそりゃ怖いけど、100%善意も人間なのか怪しいよね
『悪(evil)のつづりは、生きる(live)の逆』
『高潔さとは、状況の悪化に反応して退行することなく、苦痛に直面して感覚を鈍らせることなく、苦悩に耐え、しかもそれによって影響を受けることのない能力である
人間の偉大さを計る最良の尺度は、苦しみに耐える能力である』
『自分たちは間違ったことをしているのではないか、と真剣に考えることができないほど、われわれは間違っていた
あらゆる人間の悪の根源が怠惰とナルシシズムにある』
M・スコット・ペック、平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学
『悪(evil)のつづりは、生きる(live)の逆』
昔の人は、なにを思ってこのつづりにしたんでしょうね?
guts koporu takkaです
この本はですね、とある流れで〝サイコパス〟という人たちが気になったときに取り寄せて読んだ本ですね
サイコパスに関しては、このサイト
が簡単に、分かりやすく書いています
完全に悪意しかない人たち
おっかないですねえ。そんな人、ほんとにいるんでしょうかねえ?
どんなに凶悪な人間だって、少しくらいは良心のかけらみたいなものがあるんじゃない?って思いますよねえ
私も、まだそこまでの人は見たことないです。たぶん
まあ、普段は日常に溶け込んでる人たちなんでしょうから、いつどこで会ってるかはわからないですけどね。そこまで深く関わらなかった人たちの中にいたのかもしれないし
望むと望まざるとに関わらず、ほとんど完璧に向こうに行っちゃった人たちなら相手にしていたことはありますが、それにしたって〝100%の悪意〟って印象は受けなかったですね
いつでも人を出し抜こうとしていたって感じはしたけども
話は戻りますが、この本はむしろ自分がサイコパスなんじゃないのかって思うところがあったので、調べてみたかったんですよ
〝受動攻撃性人格障害〟ってやつも当てはまってるところがある気がしたし
別記事
アルボムッレ・スマナサーラって、帰化したらどういう漢字になるんだろう? - ノルウェイの森の、もうちょいと奥まで
の怒りの話じゃないですけどね
しかしまあ、取り越し苦労っていうほどなにもかすっていなかったわけじゃないけど、ほんとのサイコパスってのは、ちょっと次元の違う人たちみたいですね
少なくとも、自分がサイコパスかどうか調べるような雰囲気ではなさそうです
ちなみにさっき奥さんと前述のサイトで〝サイコパス診断〟をやってみたんですが、サイコパス的には門前払いでしたねw
奥さんに至ってはかすりもしませんでした
まあしかし、少しだけ深刻めに受け止めてこういったことを勉強したからいまがあるとは思っています
自分に対して、ちょっとは責任を持ちたかったので
サイコパスってのが先天的なものなのか後天的なものなのかまでは深く調べていませんが、なんだか読んだ感じは前者っぽいですよね
しかし、そのいろいろあるサイコパス的な〝要素〟が自分にはまったく関係ないと思ってしまったら、それは後天的なサイコパスへの第一歩なのかも‥しれないですね
今回はここまで
バイバイ!